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淳仁天皇陵(淡路島)

以前DQウォーク旅行で淡路島を訪れた際のこと。
車で島内を移動中、車内からふと視線を外へ移すと「淳仁天皇陵」と書かれた案内板の文字が目に入りました。

え?淳仁天皇陵!?
淡路島に…淳仁天皇陵!?(2度見)

そういえば…!!淳仁天皇は淡路島に流されており、陵墓も淡路島に築かれていたのでした(o△o)!!
思わぬ遭遇に急遽進路を変更してもらい、淳仁天皇陵を見学させてもらいました。

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近くに駐車にして近づいてみると、陵墓の横にはたこ焼きと大判焼きを販売する車が停車中!(内容と全然関係ない;)

それを横目に陵墓の縁に沿って進むと正面が見えてきました!

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淳仁天皇は第47代天皇で、舎人親王の七男です。(舎人親王は『日本書紀』編纂を主宰した人物。)

孝謙天皇によって廃された道祖王の後に立太子し、天平宝字2年(758年)に天皇から譲位を受け践祚しました。
そかしその後、反乱を起こした藤原仲麻呂と関係が深かったことなどから廃位を宣告され、天平宝字8年10月14日にへ淡路国に流されました。
長らく天皇の一人と認められず、廃帝または淡路廃帝と呼ばれていましたが、明治時代になってから「淳仁天皇」と諡号を賜られています。

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宮内庁上の形式は山形。
記録では、宝亀3年(772年)光仁天皇は僧侶60人を派遣し、斎を設けてその魂を鎮めたとあり、宝亀9年3月23日に山陵扱いとされました。

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天皇陵から南へ1kmほど離れたところに生母、当麻夫人の墓もあるそうです。

最近は、県外で奈良の歴史に出会うこともしばしば!
奈良の歴史は日本の各地に息づいていますね^^

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