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エチオピア🇪🇹初訪問の思い出

私が初めてエチオピアに訪問したのは2012年2月のことだった。赤道にほど近いこの国は、乾季の時期と重なる冬が暑い。大学院で現代アフリカの言語、特にエチオピアを対象にした調査を行うことに決めたのは、古代エジプトの文化を部分的に継承しているという背景もある。

雪こそ降っていなかったが非常に寒く、成田空港まではウルトラライトダウンを着て、飛行機に乗る前にデイパックへしまい込んだ。 乗り継ぎの待ち時間を含めて約20時間の長旅の末、空調が効いていない日陰の涼しさが頼りのオープンな空港、アジスアベバ国際空港への到着。

入国審査の長い列に並び、ポケットノートを取り出して、出国前に書き留めておいた言葉を小声で口ずさむ。エチオピアで作業語として広く使われている、アムハラ語のフレーズをメモしたものだ。

空港を出る前に現地通貨ブルに両替をしなければならない。とりあえず2万円分をブルに替えて、タクシーで郊外の空港から市街地の宿に向かう。

タクシーの相場は常に変動する。エチオピア最初の交渉はタクシー代だった。長旅で疲れたので交渉はスピードを重視して、およそ800円に相当する150ブルで妥協した。

大学院の先輩がよく使っていたという宿のHOTEL BAROに辿り着いた。受付でマネージャーが対応してくれたので、紹介されてきたことを伝えると歓迎してくれた。宿代は1泊200ブルとエチオピア感覚では少し高めだが、旅行客も多く従業員が気さくでとても居心地が良い。部屋は特に問題なかったが、水回りは若干不安を感じた。

標高2500mほどの高地にあるため、身体を環境に慣らすのを兼ねて、アジスアベバ大学で調査許可証を発行してもらう手続きを進める。頻繁に停電があり、結果的に登録料を払う段階だけで2日も無駄に待機することとなった。

許可証を得たら、今度は調査地となる南部諸民族州へ向かうための足となる、長距離バスの予約をしなければならない。バスのチケットは搭乗日前日の朝にバスターミナルの窓口でしか買えない。仲良くなったタクシードライバーのKifleにお願いして、チケット購入も手伝ってもらった。

長距離バスは朝6時に出発して、正午近くになると途中の町で昼食を済ませる。どうやらバスの運営元がレストランと提携しているようで、基本的にバスは店に横付けされて入店を促される。メニューはほぼ選ぶ余地が無かったが、肉の細切れを炒めた物を注文した。インジェラという、イネ科植物のテフの種を原料にして乳酸発酵させたものをクレープ状に焼き上げたものが主食として添えられる。正直なところ独特の酸味が苦手で、長旅の疲れもあり、ほとんど肉だけ食べた。最後にエチオピアを訪問した時もやはり苦手なままだった。

バスは目的地の南部諸民族州に到着し、南部最大の都市でエチオピアでも2番目か3番目に栄えているアルバミンチでバスが停車した。首都アジスアベバほどではないが、地方とは言っても物価は少し高くなる。

アルバミンチのバスターミナルに着いた時には日が暮れてしまったので、安全性を優先して中心部にある外国人しか使わないTourist Hotelに泊まった。私が借りた部屋は350ブルだった。部屋はテレビも付いていて衛生的だったし、レストランの料理も満足できた。

翌朝にチェックアウトすると、真っ先にバスターミナルへ向かった。そしてコンソというさらに南部の町へ向かうミニバスを探した。ミニバスはTOYOTAのハイエースを改造して10人以上乗れるようにしたもので、首都でも足として使っていた。ミニバスで悪路を進むこと約5時間、ようやくコンソに到着した。

そして中心部にあるSt.Mary Hotelにチェックインして、アジスアベバ大学の研究者を介して連絡を取っていた調査協力者のGenisoに電話し、翌日合流することを約束した。

ホテルのドアは鉄格子というかフレームだけで、少しでも風が入るような設計だった。夜は蚊を始めとする虫が入ってくるので、かなり強力な虫除けスプレーを身に纏って寝ていた。蒸し暑く、長旅で疲れていなければ寝れなかった。

無事にGenisoと合流すると、翌日に真の目的地であるガウワダ村に向かうミニバスに乗るという予定を立てて、夕食をご馳走した。村に行く前に少しでも知りたいと思い、ガウワダ村のことや調査対象の言語について質問をして時間を過ごした。

ガウワダ村まではコンソからミニバスで最短2時間、酷い時は半日かかる。途中で乗降客が多かったり、パンクしたり、バスの上の積荷が落ちたりすると、それだけ時間がかかってしまうからだ。特に問題なく2時間程度で到着したのは、ある意味で奇跡だったかもしれない。

ガウワダ村は非常に平和な世界で、のどかな時間が流れていた。首都アジスアベバですら日本人の感覚ではゆっくりしているが、ガウワダ村はまるで時間が止まっているかのような錯覚を覚えるほどだ。

帰る前に調査に協力してくれた村の観光局スタッフ一同と写真を撮った。今回の調査では右端のNiguseに質問し続けて言語調査を進めた。GenisoとNiguseはアジスアベバ大学で英語学を学んだので、英語でコミュニケーションが取れるのが助かった。

2週間ほど滞在していたが、実は毎日ガウワダ村までコンソからミニバスで往復していた。そのため昼の12時から16時までしか時間がなく苦労したが、コンソのホテルでその日に収集したデータを整理できたので効率は悪くなかった。

インターネット接続はコンソのプリント屋(コピー機が使える店)がネットカフェもやっていたので、日本への連絡はそこを利用した。停電すると使えないのは不便だったが、安否情報を伝える必要もあったので粘って使った。それに他に使う客はいなかった。

調査を終えると、またコンソからアルバミンチに向かい、翌日のバスチケットを買って、アルバミンチからアジスアベバへ戻るという行程。移動するだけでどれだけの時間を使ったかと思うと、ドッと疲れが増してきた。

またHOTEL BAROに部屋を借りて、帰りのフライトまでアジスアベバ大学の研究者と交流したり、市内散策をして過ごした。日本人旅行客と知り合ったので一緒に飲みに行ったりもしたのは良い思い出になった。

こうして、あっという間にエチオピア初訪問は過ぎていったが、思えば既にこの時からエチオピアという国にハマっていたのだろう。今も思い出すと、ちょっと行きたいなと思う瞬間がある。ちょっと、では済まない道程ではあるが。

吉野

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吉野宏志
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