滋賀に一軒家を買いました

大阪の高槻市で生まれ、その後枚方市へ引っ越し。大学3年まで過ごしたのちにまた高槻に戻り、住み慣れた街で20代後半までの時間を過ごしてきた。

そこそこの人口規模の町で暮らしてきた、シティボーイほどは行かずとも、タウンボーイだった僕が、30歳を機に滋賀県に家を買うことにした。



ここですね


これは知り合いのびわ湖くん

滋賀だ。
滋賀県。
琵琶湖だ。
大阪からはちょっと遠い。でも、通える。
自然環境豊かな美しい町である。

今、仕事がリモート中心だからこそ選べた選択肢ではあるものの、「え?なんでわざわざ遠くに買ったん?しかも滋賀??」と目をまあるくされることもしばしばだ。

住宅ローンの担当の方からも「えっと…遠いですが、居住される…んですよね??」と聞かれた(住宅ローンは居住用が基本で、投資など他の目的だとNG。勤務先からえらい遠いけどここにアンタ、ホントに住むわけ??と言われた訳ですわな)。

なぜ、滋賀県に家を買ったのか?
住宅購入までに考えたこと。
この先の人生のこと、生きる喜びとは何か?
そんな答えのない命題への、自分なりの答えについて記してみようと思う。

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話は変わって2020年、世の中はコロナによって無茶苦茶にされたわけだが、自分を救ってくれたのは今も続けているバンド活動や音楽と、何よりも「サウナ」だった。
といっても、緊急事態宣言で施設は休業しているわけで、少し前からサウナにドハマりしてた僕にとっては、かなり地獄のような時間だった。
でも、そんな中でもとっておきの娯楽があった。
「ドラマ サ道」を見ることだった。


このドラマのおかげで、たくさんのサウナの事を知ることができたし、コロナで施設に行けない時期でも、なんとなくサウナに入ったような気持ちになれたし、そこで描かれる今を生きる凡人たちのよろこびも、かなしみも、鬱屈とした気持ちを救うには十分な内容だった。

そんなサ道だが、レギュラー放送を2クール放送後、スペシャルドラマを年に一度放送するようになっている。毎年の楽しみだ。

サ道放送開始から数年経った2022年にも、SPドラマをリリースする。
それがこの作品だ。

この内容が、衝撃だった。

50歳を迎える主人公であるナカタアツロウ、通称ナカちゃんさん(演:原田泰造)は、コロナの自粛期間、サウナ施設も休業するディストピアの中で「自分の人生、このままでいいのかな」という漠然とした問いに立ち向かった。永遠にも思えるような長い時間のなかで考えぬいた結果、今まで夢だった田舎暮らしを死ぬまでにやってみたい!と思い立ち、ナカちゃんさんは山梨と東京での二拠点生活を始める。

都会と田舎での生活を重ねる中、山梨のホームセンターで出会った、実家が工務店である若者の支援や、東京でサウナを通じて出会ったかけがいのない友人たちの応援を受けて、ナカちゃんさんは山梨の一軒家に自作のサウナ小屋を建てる。
小屋を建てるプロセスの中で、登場人物それぞれの人生の価値観が描かれる。異常なサウナ狂いながらも、妻と愛娘との家族のつながりを愛しく思う偶然さん(演:三宅弘城)や、自身が立ち上げたスタートアップ企業で仕事に燃えるサウナー、イケメン蒸し男(演:磯村勇斗)、田舎の中で自分のやりたいことを模索しながらも都会に憧れ続ける青年(演:岡山天音)、そしてフリーランスのイラストレーターとして働きながら2拠点生活を始めたナカちゃんさん。それぞれ全く違う世界で生きているが、サウナという一点で交わり、繰り広げられる人間模様が魅力的な作品である。

このドラマに、死ぬほど感銘を受けた。
特に、人生でやりたいことを突き詰めた結果、「田舎暮らしでサウナを建てた」ナカちゃんさんの生き様に、とてつもない憧れを感じた。
中高生の自分が、アニメや音楽に出会って人生いい意味で狂わされた、あの時のような衝撃が、20代の終わりにまた感じられるとは。「あー、俺がやりたいのはコレかもなー」と思った。

田舎暮らしにはかねてから興味があったし、よく「老後の田舎暮らし」というが、もし老後、自分が体力も気力も無くなってしまうことを想像すると、若いうちにやってた方がいいんじゃないか?と思ったり。あとはコロナ禍で人の「悪意」みたいなものにあてられて、人の集まる街のことがちょっと嫌いになってしまった自分もいたり。

猛烈にコレを実現したくなり、居ても立っても居られず、活動を始めた。二拠点生活のこと、田舎暮らしのこと、音楽と仕事との両立のこと。調べれば調べるほどリスクも見えてきて、尻込みする。どうしようかな、と悩んでいる時にふと、こんなwebページが目に留まった。

https://www.westjr.co.jp/life/living/otameshi_life/

おためしで、田舎暮らしができる。
これは、願ったり叶ったりだ。何よりも「おためし」というコンセプトが素晴らしい。
田舎も都会もどちらも味わえる。働きながら田舎に軸足を置ける。これは口で言うのは簡単だが、本当にできるのだろうか?という不安は尽きない。
その不安を払拭するのは何よりも「体感」であり、それを自治体とJRの援助も受けながらできると言う素晴らしいシステムだ。


迷うことなく応募した。

応募前、配偶者からは「マジで?」という至極真っ当なリアクションをいただいたが、「絶対にコレは今、やるべきだ」と熱弁を奮った。もとい、洗脳である。自分のやりたいことの押し付けだ。批判を受けることも辞さない。だか、どうしてもやりたかったのだ。
最終的には「そこまで言うなら…」と根負けしてくれた(その節は本当にありがたかったのだが、といいながら「1ヶ月で途中解約する場合は、どのようなペナルティがありますか?」とキッチリ業者に確認していた彼女の胆力には、目を見張るものがある)。

さまざまな自治体があったが、なんとなく滋賀が良いなと思った。滋賀には何度か好きなサウナ施設に入りにきていて、街並みも風景もとても好印象だったからである。
その時は、ぼんやりとした「良さそう」というイメージだけで選んだが、のちのち拠点である大阪に通える「ほどよい田舎」のを近畿圏内で沢山探した際に、結果的に滋賀が1番いいと思えた。

大阪まで1時間半圏内で程よい広々とした街並みがあり…と諸条件を挙げて、色んな地域を見に行った。一日かけて土地を歩いて街を望んだが、なかなか滋賀はしっくりきた。山も見えるし、建物も少ない、そして何よりも「いなたい」のだ。悪口ではない。絶妙ないなたさと穏やかな空気が、滋賀には流れている。


話を戻すと、この時は直感で滋賀を選んだ。結果、滋賀県甲賀市というところに3ヶ月暮らすことになった。
この暮らしが、自分にとって人生の転機となる。

甲賀市。
おそらく、誰しもが「こうがし」と読むであろう。
甲賀忍者の こうが、ね!とよく言われる。
だが読み方は「こうか」。ややこしい。
正直どこやねんと思った。

滋賀のこの辺で、ほとんど三重である

まったく縁もゆかりもない。だけど僕はこの土地が狂おしいほど好きになった。溢れる自然、だが都市機能は充実し、まさしく昨今の地方都市が目指す「コンパクトシティ」を実現している。あと何より近所の「つばきの湯」がめちゃくちゃいい。ぜひ行っていただきたい。誰にだよ。

週一くらいで大阪に出社したり、スタジオでリハーサルをしたり、ライブしたり、飲みに行ったりするのだが、その帰り道がたまらない。「あーー…帰ってきたぁ〜……」と心がほどけていく。
どんなに辛いことがあっても、思い詰めることがあっても、余裕がなくなり、ケモノのようになっても…
最後に自分を人間に戻してくれる。
そんな町だった。

この風景である。
杣川(そまがわ)。なんとも美しい。何度この川を見ながら、へべれけになった足で帰ったことか。
帰るたびに嬉しくなれる。そんな少しのことが、自分の人生をとてつもなく豊かにしてくれる。

また、友人もできた。友達と貸家の庭でバーベキューもたくさんした。
インドアで引っ込み思案、音楽と仕事と酒と犬にしか興味がなかった自分が、こんな暮らしの喜びを見つけるなんて驚くばかりだった。

3ヶ月のお試し期間を経て…最終的に、甲賀市には住まなかった。終電がかなり早く、バンド活動も飲みにいくのも障壁があると考えられたからだ(実際帰れず、高槻の家に帰ることも何度もあった笑)。

でもどうしても滋賀には住みたくなり、高槻市から大津市に引っ越した。自分が住んだのは「湖西線」沿線で、京都から近いし琵琶湖も山も近くて素晴らしい街だった。

たくさん遊んだ。道の駅で死ぬほどうまいお米と、新鮮な野菜を買って食べたり、地元の超いいスーパーでブリのあらを仕入れて、あら汁を作りまくったり…男齢30にして、料理に目覚めた。
確実に、甲賀市で気づいた「暮らしの喜び」をこの土地で拡充することができたように思う。

だが、開発も進んでいる地域だったため、甲賀市で味わった、圧倒的な「自然の良さ」「いい意味での人の少なさ」が恋しくなってしまい、改めて自分の棲家のことを考えることになった。

終電のある甲賀市に住みたい。そして、やっぱり一軒家で得られる喜びを感じたい。


こんなことまでして迷走した
悩みすぎてハゲそうになった


そう思って半年以上家探しを行い、ついに理想の棲家が滋賀県近江八幡市で見つかり、家を買うことにした。


朝、リビングから見える風景

朝、窓をあければ建物の少ないこの地域は音が反射しないからか、本当に静かである。木々のゆらめぎ、葉の擦れる音、都内と比べて鳴くのが上手な鳥のさえずり…奮える。こんなことに、自分が生きる喜びを感じるとは。思いもよらなかった。

うちの愛犬、トントゥちゃんもご満悦


ここまでが、ことのあらましである。

振り返る。
なぜこういったことに自分が惹かれて、憧れて、ここまで行動することになったのか?

拙い自己分析では「肥大した自意識からくる"自己実現病"に疲れたから」だと思う。

20代というのは修羅の道だと思っていて、
「何者かになりたい自分」と、「なれてない自分」とのギャップに苦しむ。

自分の場合は、「仕事しながら音楽も一生懸命やって、自己実現するぞ!!!」という理想を掲げ、人生を謳歌するぞと豪語して生きていた。

だが、これはもはや、戦いであった。
うまくいかない時にはひどく落ち込むこともあったし、でもそれが自分では認められなくて、心の不具合からつまらない虚勢を張ることもあった。
SNSにくだらない自意識をばら撒くこともあった。

あの時、心の中には、ケモノがいた。
令和版『山月記』である。

もちろん、兼ねてからの田舎暮らしの憧れもあったが、そんな自分の孤独と欲求不満に疲れて、こころとからだが穏やかな暮らしを欲したのかもしれない。それは、ケモノを飼い慣らすためだったのか、なんなのか。何かを埋めるために滋賀県に暮らしてみた。

暮らしてみて…人生のさらなる喜びを見つけられたな、と思っている。音楽と仕事、マグロのようにマッハで泳ぎ続けること「だけが」人生の喜びだ、と思い込んでいた自分に、新たな遊び場を与えてくれたのは滋賀県である。

もしかしたら10数年後には「やっぱ大阪に近い都会がいいわ…」といっているかもしれない笑
あるいは、もっとさらに穏やかな暮らしを求め、麗しの甲賀市に舞い戻っているのかも。隣の芝は結局常に青く見えるだけなのかもしれない。
(自分が1番信用ならないので、一応戻れるように、10数年後でも元が取れるような値段で住宅を選んでおいた)

まだ結末はわからないが、自分の人生の喜びを探すだけの余裕は、酸素ボンベのように持っているので、ひとまず潜ってみようと思う。
いよいよドラマ サ道よろしく、サウナ小屋も建てたいと思っているが、その件についてはサウナへの愛が濃厚すぎて早口で10000字ほど秒で埋まりそうな気がするため、ここには記さないでおく。

尊敬する人が言っていた。
人生は死ぬまでの暇つぶしであると。
今なら言い返したい。
死ぬまでの暇つぶしかもしれないが、
最高の暇つぶしを探すゲームじゃないですか、と。

緩やかに、音楽も仕事も暮らしも、遊びつくす30代を、ここ滋賀の土地で過ごそうと思っている。

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