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ムムムの空
敬愛する木皿泉の本に「昨夜のカレー、明日のパン」という作品がある。
正確な言葉までは覚えていないが、
「橋の上から見る空が一番広いと信じている」
という一節があり、私はこの一文がとても好きだ(いや、好きなら正確に覚えとけやというのはまあ、ご愛嬌)。
昔住んでいた家の近所には、丸子橋という空色の大きな橋があった。たまーに散歩をするときに丸子橋を歩いて、私はよくその言葉を思い出しては、あーほんとだなーと思っていた。
広い広い河原で野球する少年たちの声や、東横線の電車が走る音が聞こえてくる。私の真上に遮るものはなく、澄んだ青がただ気持ちよく広がっている。
木皿泉が描く物語の世界と私の生きる現実が繋がっているようで、いつもの景色が特別なものに感じられる。
「橋の上の空」というのは、登場人物のひとりであるムムムの話で出てくる言葉だ。
ムムムは元客室乗務員の引きこもり。ストレスで笑顔を作れなくなり、退職して実家に引きこもっている。うまく笑えない表情から、主人公のテツコたちがつけたあだ名がムムム。
今、私は羽田空港の滑走路が見渡せるカフェにいる。
予定より少し早めに出てしまったから、飛行機に乗るまで中途半端に時間が空いてしまって、ぼーっと、飛行機が飛び立っていく様子を眺めている。
カフェはきちんと防音がされているから、まるでスーッと音もなく飛行機が飛び立っているようだ。
ミニチュアのおもちゃのようなビル群の合間に、小さな小さな東京タワーやスカイツリーが見える。
丸子橋の空よりも、羽田空港の空の方が広いな。
ふと、そんなことを思ってムムムのことを思い出していた。
客室乗務員だったムムムは、きっとたくさんの空港に行ったはずだ。それなのに、橋の上から見る空が一番広いと思ってるのはどうしてだろう。
もしかしたら本に書いてあったかもしれないけど、記憶力皆無の私はすっかり忘れてしまっているので、勝手に理由を考えてみる。
単純に、空を見上げる時間がなかったのかもしれないな。広い空の一番近くにいたはずなのに、それに気付かないくらい仕事に忙殺されていた、とか。
笑うことができなくなるくらいしんどいとき、空を見上げる余裕を人は持てるだろうか。
それとも、広い空を見慣れてしまったら、空が広いことを忘れてしまうのかもしれない。当たり前が当たり前であることの幸せを感じられなくなってしまうとき、人はここにないものばかりを追い求めてしまうものだ。
狭い部屋、狭い土地。地面にしっかり立っているときだからこそ、広い空に気付けるのかもしれない。
あるいは、橋の上はムムムにとって子どもに還れる場所だからか。子どものころから、幼馴染の一樹と何度も橋の上から空を眺めたのだろうか。
童心にかえったような小さな視点から、自由に大きな世界を見る。だから、ムムムには橋の上が一番広い空なのかもしれない。
どの解釈にも、きっと、正解はない。
好き勝手書いて結局そんな結論かよって感じだけど。
今年は能登半島地震、羽田の大事故と、衝撃的な出来事から1年が始まった。羽田にくるたびに、あの日、親戚たちとともに落ち着かない気持ちでテレビを観たことを思い出す。
私は少しずつこの1年のことを忘れていってしまうのだろう。仕方ない。生きてるのだから。
羽田の空は広い。
橋から見る空も広い。
それでいいんだと思う。
空の広さは、人の心が決めるのかもしれない。
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