電車で本を読むのが好きだ。
昨日、いち時間ちょい電車に乗ることがあった。
家を出る前から、なんの本を持っていくかをワクワクしながら選んで、聴き慣れた音楽を聴きながら途中居眠りもしながら、電車で読書。
思えば、ずっと前から電車で本を読むのが好きなんだけど、その時間の捉え方が変わったなあとふと思った。
都内に住んでいたとき。9時に出社して終電まで働くような毎日。帰宅後や土日も家で仕事をするような毎日。
仕事をしない時間なんて電車の中くらいにしかなかった。電車での移動時間を無駄にしないという高い意識で本を選ぶから、何か意味があるようなビジネス書や啓蒙的なものを選んで読んでいたと思う。随分と真面目だったけど、やや病的な気もする。
今は浜松に住んでいて、日常の移動手段は車だし、電車に乗る機会も多くはない。働き方も20代の頃とは随分変わったし、そもそも移動時間というものさえ随分減った。そんなこともあってか、電車移動の時間は貴重だ。積んである本の中から、なるべく意味のなさそうなものを選んでカバンに入れる。自己啓発の時間でもないし、暇つぶしでもない、ただ活字を楽しむ時間。たまに風景も見ながら、目が疲れたら本と目を閉じて休憩。で、また再開。追われていないのでただただ有意義。
思えば、高校時代からずっと電車移動がそれなりにある生活だった。高校は進学校だったので電車時間は勉強時間だったし、大学の通学や社会人の通勤といって電車時間はいつも時間に追われた生活の中の限られたインプットの時間で意識が高すぎたと思う。30代後半で浜松に来てようやく、落ち着いて電車時間を過ごせるようになったのかもしれない。そんなことに気づいた。
行き先が劇場で、演劇を見る予定があっての移動だったので、あんましストーリーがないものがいいなあと、先日買ったばかりのエッセイを携えて電車に乗った。
物語に引き込まれたり、考えさせられたりする内容だとその後の演劇鑑賞に影響が出そうだなと思って、エッセイを選んだのだけど、そんなにメッセージはこもってないと思いつつも、適度に想うこともあり、よいチョイスでした。
その本については、また読み終えた頃に。