【小説】 夏休みの悪魔さん
小学六年生の夏休み。
うだるような暑さの中、シュンヤは小学校へ向かっていた。
学期末の終業式の日、上履きをくつ箱に忘れて帰ってしまったのだ。シュンヤ自身は登校日に取りに行けばいいと思っていたけれど、「ちゃんと洗わないと、くさくなるでしょう!」と母がうるさかった。
「くつがきたないと、ハルカちゃんにきらわれちゃうよ!」
母の一言にシュンヤはビックリした。だれにも話していないのに、どうして自分が気になる子を知っているんだろう……でも、それを聞くのは「自分はハルカが好きだ」と認めるみたいで、くやしい。シュンヤはいわゆる「難しい年ごろ」というやつだった。
シュンヤがオロオロしている間に、あれよあれよと学校に向かうことになってしまった。
◇
校門を通って、学校の児童用玄関へ入る。夏休み中はカギが閉まっているので、事前に学校へ電話しておいた。担任のユキ先生は「わかりました。上履きを取ったらすぐに帰りなさい。絶対に、玄関より先へ入ってはいけません」と言っていた。
学校の中は、想像以上にすずしかった。学期中は子どもたちの声でにぎやかだから、だれもいないと余計に空気が張りつめて、冷たいように感じる……のかもしれない。まるで冷蔵庫の中みたいだ。
セミの鳴き声が聞こえる……遠くで工事をしている音がする……玄関の先にある階段が、この世とは別のどこかにつながっているような気がした。少し、こわい。
「ねぇ」
急にうしろから声をかけられ、心臓が止まりそうになった。ふり返ると、赤いフードをかぶりキツネのお面を着けた子供が、くつ箱の上に座っていた。
「"悪魔さん"って、知ってる?」
キツネのお面の子は言葉を続ける。全身が固まる。こわい、こわい。なんだこれ。口がカラカラにかわく。声が出ない。
「なんちゃって、ビックリした?」
ホイっと、と言ってキツネのお面の子はくつ箱から飛び降りた。表情は見えないけれど、声と仕草で、お面の子がハルカだと気がつく……。
ビックリして心臓がドキドキする。なんでここにいるの、とシュンヤが聞くとハルカは「おどろかせようと思って」と答えた。そして、ハルカはこう提案してきた。
「ね、いっしょに学校を探検しようよ!」
玄関より先へ入るなってユキ先生に言われたよ、とシュンヤが伝えると「でも、きっと楽しいよ!」とグイグイせまってくる……さっきとはちがう意味で心臓がドキドキする……せっかくハルカが遊びにさそってくれているんだし断るのはもったいないかも、とシュンヤは思い直した。
それにしても、ハルカってこんなにイタズラ好きな子だったっけ、と思いながらシュンヤは上履きを履いた。
◇
ハルカは「図工室へ向かおう!」と言った。正確には図画工作室、三階にある教室だ。一階にある職員室から遠いので、ユキ先生にもバレにくい。ちなみに、三階にはシュンヤのクラスである六年生の教室もある。低学年の教室は一階で、学年が上がると上の階になる。
「夏休みの学校って、いつもとちがう感じがするね!」
階段を登りながら、ハルカはキツネのお面ごしに言う。シュンヤもワクワクしてきた。六年間この校舎に通ったけれど、なんだか初めて訪れたみたいな感じがする。三階に着くと、ハルカは何かに気がついて窓にかけ寄った。シュンヤも着いていって窓の外をのぞく。
「見てみて、すごい!」
……街が、はるか下の方に広がっていた。
シュンヤはビックリした……学校の三階よりも、ずっと高い。去年の夏に行った東京スカイツリーから見える風景よりも、もっと高い場所にいた。思わずハルカの方を見るとーー
「ほら、夏休みの学校って、すごいでしょ!」
ハルカは楽しそうな声でそう言った。いや、それにしたって変じゃないかな……とシュンヤは思ったけれど、ハルカはあまりにも何一つ疑問を持っていない様子で……そっか、夏休みだからか、とシュンヤは納得してしまった。夏休みの学校って、こんな感じなんだ……。
「あ、鳥がいる!」と言ってハルカが窓を開けると、強風がビュウゥゥゥとふきこんできた。ハルカはとっさにお面をおさえる。
あまりの風の強さに、二人は教室の中までふき飛ばされた。シュンヤはハルカをかばい、背中から落ちる。痛い、泣きそう。でも泣くところをハルカに見られたくないので、泣かない。
「ありがとう。ビックリしたね」
さっきの鳥が入ってきたのか、チチチと鳥の声がする。いや、それよりも――。
「まるでジャングル、だね」
ハルカは周りを見回して、そう言った。
◇
辺り一面、緑のツルと葉で囲まれていた。赤い実がたくさんついていて、小さなものからバスケットボールくらいのサイズまである。ハルカがガサガサと葉っぱをかき分けると、学級掲示板が見えた。「一年二組、学級だより:トマトの成長記録」と書かれている。
「夏休み中に、トマトが成長しちゃったんだね」
……トマトが成長してもジャングルみたいにはならないんじゃないかとか、さっきまで三階にいたのになんで一階にあるはずの一年生の教室にいるんだろうとか、色々なことにシュンヤはとまどったけれど……ハルカは「うーん、図工室から遠くなっちゃったね」と一言だけ。
だからシュンヤも、そっか夏休みの学校は何が起こっても不思議じゃないんだ、と納得することにした。それに……変にうろたえる様子をハルカに見せたくない。
ハルカはてのひらサイズのトマトを一つもぎ取ると、お面をズラして器用に食べる。「んー!」と美味しそうな声を上げて、トマトをもう一つもぎ取ってシュンヤにわたしてくる。
「このトマト、すっごくあまくて美味しいから食べてみなよ!」
……母もそう言ってよくトマトをすすめてくるけれど、シュンヤはトマトがきらいだった。あまくてもトマトはトマト、食わずぎらいじゃなくて「ちゃんと食べて、それでもきらい」なのだ。
でも、ハルカの前で「トマトがきらい」だなんて格好悪いことは言えない。シュンヤはトマトを受け取って、目をつぶってガブリと食べてみたら……なんと、本当にあまくて美味しかった。フルーツよりも、綿アメやケーキに近いあまさ。まるでトマトじゃないような味で、ビックリした。
……今日はビックリしてばかりな気がする。
二人はトマトを食べ終えたあと、ジャングルをかきわけて進み、教室のトビラを見つけた。ハルカが「来い、図工室!」と言いながら勢いよくトビラを開くと――。
そこは氷の世界だった。
◇
調理台もコンロも水道も全てが氷づけになった、家庭科室だった……家庭科室は二階にあるはず……ハルカは「気合いが足りなかったのかな」とか独り言を言っている。
冷蔵庫のトビラが、開きっぱなしになっている。どうやら、これが原因で部屋全体がこおってしまったみたいだ。学校の玄関がすずしかったのも、このせいかも。
シュンヤは「冷蔵庫が開きっぱなしだと、電気代かかっちゃうよな」と思って(母によく注意されるのだ)冷蔵庫のトビラをパタンと閉めた。すると、家庭科準備室の方で大きなうなり声が――。
バン、と家庭科準備室のトビラが開いて、シロクマがおそいかかってきた。すずんでいたところをジャマされて、おこったみたいだ……!
二人で走ってにげようとした、が……ハルカが氷ですべって転んでしまった。ハルカのポケットから何かが転がり出る。シロクマがグワーッと口を開けて、ハルカにかみつこうとする。ど、どうしよう……!
シュンヤは無我夢中で、転がっている「それ」をシロクマに向かって投げつけた――さっきのジャングルにあったトマトだった。トマトはシロクマの口の中に……シロクマはキョトンとした顔をして、ベロリと舌で自分の口元をなめたあと、のしのしと家庭科準備室へもどって行く。
よ、良かったぁ……とシュンヤはホッとするが、ハルカはたおれたまま動かない。ゆかに頭でもぶつけてしまったのかもしれない。こけたときに外れたのか、側にキツネのお面が転がっていた。
だれか、助けを呼ばないと。
シロクマがいつ、もどってくるかも分からない。心臓をバクバクさせながら、シュンヤは家庭科室のトビラを開けた。
トビラの向こうは職員室で、カップ焼きそばを食べていたユキ先生が、ビックリした様子でこちらを見ていた。
◇
ハルカは気絶していただけでケガはなく、保健室のベッドにねかせていたら、しばらくして目を覚ました。
先生が言うには、ハルカがつけていたお面が原因らしい。昔、夏休みの自由研究でイタズラ好きな児童が創った『悪魔さんのお面』という作品で、いつもは図工室にしまってあるのだそうだ。ときどき勝手にどこかへ行って、夏休みに児童に取りついたり、他の児童をイタズラにさそったりするという。
「夏休みの学校は、危険なんです。トビラがとんでもない所につながっていたり、野菜が異常に大きく育ったり、どこからともなく世界中の動物たちが現れたり。他にも、チョークが勝手に動き出して教室を落書きだらけにしたり、理科室で骨の標本がフラスコでコーヒーブレイクしていたり、屋上に色んな星の宇宙人が日がわりでやって来たり……」
シュンヤが「冷蔵庫が勝手に開いて家庭科室を氷づけにしたり」と続けると、ユキ先生が「それは……」と口をモゴモゴさせた。あ、たぶんユキ先生が冷蔵庫を閉め忘れたんだな、とシュンヤは気づいたけれど言わないでおいた。
先生と「夏休みの学校のことは絶対に秘密にする」と約束する。帰り際、ハルカは学校でのことをおぼろげながら覚えているようで「また探検しようね!」と笑っていた。
家に着いて、夕飯はトマトを食べたい、と言うと母はビックリしていた。美味しいトマトもあるのだと、シュンヤは学んだのだ。夕飯のトマトカレーとトマトサラダを、シュンヤは期待して口にほおばった。
でもやっぱり、トマトはトマトだった。