「オフィス回帰」の先にある世界
オフィスに出社する意義
最近、再び企業の多くがこれまで余儀なくされていたリモートワークからオフィス回帰へ舵を切りました。
リモートワーク下では、ウェブ会議やビジネスチャットを使って、あらゆる世代の人たちが新しい働き方を体験享受し、その一方で組織に入ったばかりの新入社員の人たちは自宅で孤立感と不安の中で日々を過ごし、そして多くのマネージャーは視覚と聴覚を頼りに、慣れない新しいマネジメントを強いられた3年間でした。
オフィス回帰の流れは、オフィスに集うことで得られる偶発的な会話、そしてイノベーションの醸成、カルチャーの共有、五感で得られる情報をもとにコミュニケーションができることの喜びを噛みしめながら、「やっぱりオフィスっていいよね」という声が様々な場で今日も囁かれていて、リアルのコミュニケーションの良さはやはり現実世界の物質から構成される人間にとって、かけがえの無いものであると高い体感をもって答えることができます。
一方で、この3年間はこれまでリモートワークを経験した多くの人にとっては、必ずしもオフィスに行かなくても多くの業務を遂行できることを体得することができた中で、オフィス回帰によって、通勤にかかる時間的コスト、体力的消耗、そして育児や介護をしている人にとっては、おそらく出勤時の電車に揺られながら、「オフィスに出社する意義って何なのだろう?」とまさにオフィスへの揺り戻しのトレンドに一定のモヤモヤをいだきながらを日々を送っている人も少なからずいるのではないでしょうか。
オフィスの起源
ところで、オフィスとはどのように生まれたものかご存知でしょうか。
2013年当時に投稿されたBBCの記事で、How the office was invented(オフィスはどのように発明されたのか)という興味深い記事がありました。
電話もFAXもインターネットもない時代なので、管理に必要な情報が現地から届くのに5ヶ月〜8ヶ月の航海を経て、大量の資料がインドからロンドンに届くと、本社ではかなり多くの事務作業が着船する時期に集中したことが想像されます。
という記述があるように、現代にも共通する労働環境が当時のオフィスには既にあったようです。むろん当時はPCや計算機もないので、毎日手紙や帳簿を書き写すことを手作業でやっていたわけなので、かなりの重労働だったと思われます。
下の図を見てみると、壁にかけられた大きな時計は象徴的で、オフィスという箱の中で、労働者の行動が細かく管理されていた様子をうかがい知ることができます。
この時代、資本家は労働者をモノとして扱い、資本家と労働者の間に明確な搾取・非搾取の関係がそれまでの貴族階級の考え方が株式会社という形を変えて継承される基盤となったのでないかと考えられます。
「人間的側面」への着目
その後、19世紀に入り西欧で産業革命が興ると機械を活用した大規模な生産活動が可能となり、より生産性が注目されるようになります。
それまでの労働者の扱いは労働資源を一定のモノとして捉えていましたが、細分化された仕事の分業化やタイムマネジメント、労働者の訓練などが行われ、生産性の向上のための科学的アプローチが試みられるようになります。
たとえば米国で行われた有名なホーソン実験では、照明などの環境要素がどのように労働者の生産性に影響を与えるかという観点で画期的な科学的実験が行われました。
この実験結果では労働者は客観的な職場環境よりも、職場における人間関係や目標意識によって生産性が変わることを仮説として導いたという意味で、労働における考え方が大きく転換するターニングポイントとなり、この実験以降、労働者をモノとしてではなく感情を伴った人間本来の認識に立った人間関係論への重要性が深まっていきます。
20世紀後半には、人間的な側面に注目した労働管理手法が発展しました。これは、従業員の自己実現や自己満足などを重視し、労働者の心理的側面にも配慮した管理手法です。
ダグレス・マクレガーが提唱したXY理論は、より人間の根源に着目した理論で、「人間は本来なまけたがる生き物で、責任をとりたがらず、放っておくと仕事をしなくなる」というX理論に対して、「人間は本来進んで働きたがる生き物で、自己実現のために自ら行動し、進んで問題解決をする」というY理論をもとに、生産性を高めるには、X理論だけでは十分ではなく、Y理論にも立脚したアプローチが必要であると一定の方向性を示しました。ここに現代に至る人的資源管理につながっています。
さて、話を冒頭のオフィス回帰に戻しますが、オフィスのアイデンティティは、少なからずこれまで400年以上にわたって脈々とつづくオフィスの有り様が、私たちの中に固定的観念として形成されていることを改めて今、この時代に振り返る意義は大きいと思います。
「なぜオフィスなのか」という問いに対して私たちは過去から続く慣性的常識に囚われるのではなく、その意味を再定義しなければ、東インド会社の亡霊として、もしくはX理論に基づく性悪説的教義に縛られたまま、あたかも大航海時代を彷徨う幽霊船となる可能性もはらんでいると思います。
Work from Office(WFO)におけるコミュニケーションの形を改めて見渡すと、近接でのコミュニケーションを前提として、時間=同期、場所=オフィスという固定値が設定された形態になります。1600年から続くオフィスのスタイルで、コロナの前までは当たり前のように400年以上人類が体験してきた働き方です。
ではオフィスは不要になっていくのかというと、その答えは近接型のコミュニケーションの必要性の度合いによって決まるものですが、それらの有効性も踏まえて、次の時代の新しい働き方のヒントは、すでに2020年の秋にOur Work-from-Anywhere Futureで寄稿されています。
Work from Anywhere(WFA)の世界
Work from Anywhere(WFA)は、企業や組織が従業員に、カルチャーや目標との整合性を保ちながら、オフィスでも、自宅でも、シェアオフィスでも、カフェでも、ホテルでも、海外でも、どこからでもボーダレスに、生産的かつ自律的に働けるようにする、柔軟な働き方のことです。
WFAの世界はWFOやWFH(Work from Home)とも異なります。業務の目的に応じて、「時間」と「場所」のパラメータを選択することで、生産性と幸福度を最大化するというものです。
WFA(Work from Anywhere)におけるコミュニケーションの形は、目的に応じて、近接/遠隔でのコミュニケーションを選択し、場所については2つ以上の選択肢、時間については同期/非同期の2つの選択肢から選ぶという多様な選択肢をもった働き方です。オフィスや自宅だけではなく、チームメンバーが集いやすい近隣のシェアオフィスや働くことが可能な様々なスポットも含まれます。以下の図でご覧の通り、多様な選択肢からなる彩りのある働き方がWFAがイメージする世界そのものでもあります。
また、必ずしも人間が行う必要のない単純作業については、AIや自動化によって置換し、一方で人間にしかできない価値のある創発的活動についてフォーカスをするというメリハリをもたせたデザインの必要性も同時に想起されます。
WFAのメリットは、個人の働き方の柔軟性だけではなく、従業員、企業、地域、すべてにメリットがあるとされています。
先程の記事の内容を交えながら以下の7つのメリットについて見ていきたいと思います。
1)生産性が上がる
働き方は何によって決めるべきなのか、それはパフォーマンスの最大化に尽きると思います。オフィスだけで働くよりも生産性が高まるのであれば企業としてこの働き方を活用しない手はありません。
2)スペースのコスト削減につながる
企業経営において固定費の圧縮は大きな価値を持っています。WFAによってオフィスは働く場所の一つの変数に過ぎなくなるので、100%保持する必要はありません。代わりに従業員が利用しやすい地理的条件を鑑みたシェアオフィスのようなスペースに一定の予算を割くことでベストなポートフォリオを構築することが重要になります。
3)優秀な人材が集まる(集めることができる)
概して優秀な人はマイクロマネジメントを好まず、好きな場所、好きな時間で結果にコミットする働き方を好む傾向にあります。WFAはまさにそういった働き方をベースにしているので、優秀な人材の採用に有利に働きます。
4)離職率を下げることができる
採用だけではなく、在籍している従業員の離職防止にもWFAは効果を発揮します。自分のライフステージに合わせて働き方を変化させたいときがどうしても発生します。WFAが導入されていれば、離職しなくても柔軟にライフステージにあわせた変化が可能です。これまでは人が働き方に合わせていましたが、WFAでは働き方が人に合わせることが可能となります。
5)性別の格差をなくすことができる
WFAはボーダーレスの指向性をもった取り組みで、これから目指すべき社会のあり方にもフィットしています。一律的な働き方は近代から続く男性を優位とした基盤構造を継承している側面を考えると、WFAは新たな認識に立つことのできる強力な推進基盤になりうる働き方です。
6)地域の格差をなくすことができる
性別格差だけではなく、場所という変数に多くの選択肢を設定することができるWFAは、大都市圏への頭脳集中を防ぐことができ、地域への分散、そして地域にとっての新たなコミュニティの形成に貢献しうる働き方です。
7)CO2排出削減に貢献できる
WFAは自動車通勤の多い地域の働き方を変えることで、CO2の排出削減に貢献できます。たとえばジャカルタのような人口増加の激しい都市での通勤環境はとても大変です。ジャカルタでの働き方がオフィス一律的なスタイルからWFAに変わることで渋滞の問題も緩和されることでしょう。
WFAの実現のための必要な視点
私は今シンガポールを主拠点として、ACALLという日本のスタートアップのCEOをしています。テクノロジーの恩恵を存分に享受しながら「Life in Work and Work in Life for Happiness」のビジョンのもとで、WFAを自ら実践しています。
WFAを実現するには、個人の動きだけでは十分ではなく、企業活動の仕組みから手を入れる必要があります。それは、WFAに合わせて、カルチャーシステム、自律的なワークスタイルを実現する意思決定のシステム、評価のシステム、育成メンタリングのシステム、時間と場所のパラメータを選択するシステム、そしてWFAのプロトコルに物理オフィスを接続するための無人化、自動化、エミュレーションといったデジタルアップデートも必要になると考えます。
WFAの世界において、特に大事なことは、時間と場所のパラメータを有意に設定することです。ロンドン・ビジネス・スクールのLynda Gratton教授は著書「Redesigning Work」の中で、仕事のやり方や評価の仕組みなどを「Unfreeze」させることが、柔軟な働き方をつくるスタートになると説いています。
以下の図のとおり、これまで400年以上続いた一律的な時間にオフィスという固定的な場所しか選択肢がなかった状態から、縦軸の方向、横軸の方向にそれぞれシフトできるかどうか、そして右上の象限にシフトできるかどうかは、先行して新しい働き方を採用しているアーリーアダプターから学び、再想像し、自社の組織に合わせてモデル化して実践することが重要であると説いています。
変化を起こすことは簡単ではありませんが、この3年で社会全体が経験した体験に蓋をすることはもはや不可能であり、かつこの変化は不可逆なものとして、ひとりひとりの中に既に芽生えている時間と場所を超越した働き方への挑戦に対して、企業がどこまで俊敏に対応できるか、それによって企業の明暗が分かれるのがこの数年におとずれる変化なのではないかと思います。
振り子運動のように前の時代に単なる逆戻りをするのか、それとも螺旋階段のように次の時代に向けた進化をするのか、これからの変化に積極的に関わっていきたいと思います。