奇行
成功した男がいた。
金があり、家があり、美しい妻も、聡明な子供もあった。
男は斬新なアイディアをつぎつぎと打ち出し、ビジネスの世界でも、芸能の世界でも、類稀なる才能を発揮した。
雑誌のインタビューに応じた際に成功の秘訣を聞かれた。
それまで流暢に質問に答えていた男は、急に口ごもった。少し時間を置いてからおずおずと答える。
「散歩……ですかね。アイディアをまとめたいときには、よく散歩をするんですよ」
いかにも平凡な回答だったが、新進気鋭の実力者といえど現実にはそんな一面も持っているものだろうと、記者は勝手に納得した。
男は、内心では気が気ではなかった。
ある日、男は仕事に行き詰まりを感じた。いつものことだ。うまくいく時期があればそうでない時期がある。
そして、いつも通りに散歩にでかける。
男は、近所にある緑豊かできちんと整備された公園ではなく、繁華街の雑踏を散歩する。
その中でも、もっとも人混みの激しい大通りを歩く。息苦しさを感じるが、こうでなくてはならないのだ。同じ通りを何度も何度も往復する。
足が痛くなり、胸の動悸も高まってきたころ、雑踏の中で誰かが囁く。
「xx商事……」
男はそれを頭の中に刻み込むと、まっすぐに帰宅して、xx商事の株を買い漁った。
数日後、xx商事の株価は急上昇した。理由など知らない。興味もないし、知る必要がない。男は機械的に株を売却し、資産を増やした。
男はそうやって富を築いてきた。囁きは歌手名やスポーツ選手だったり、独特なメロディーだったり、数字の羅列だったりしたが、いずれも莫大な利益となって男を豊かにした。
しかし、男は真に幸福とはいえなかった。自分で掴み取った成功ではないからだ。自分の成功の陰で挫折していった人たちを思い、いつも罪悪感に苛まれていた。そのせいか、男は短命だった。
ストレスによる心労がたたった結果だと医師が診断すると、世間は男の悪口を言ったコメンテーターや晩年に結婚した若い女を非難したが、いずれも男の望むところではなかった。
男の死を報じる各社雑誌の中で、一社だけ奇妙な記事を載せていた雑誌がある。それは、男の日夜繰り返されていた奇行を報じるものだった。
その記事によると、男は、深夜や早朝、誰もいない空き地に赴いては、何度も何度も往復して歩いていたという。
面白みもなければ、刺激もない。第一、意味がわからない。
記事は人々から一瞬で忘れ去られ、永遠にそのままだった。