恋する気持ち
藤野マキセはおしゃれが好きなようでよく奇抜な服装をしている。容姿も愛らしいし、おそらく学校ではおしゃれで通っているのだろう。今日は縦横無尽にファスナーが巡らされたデザインのスウェットを着ていた。マキセが解き終った数学の問題集を採点しながら何の気なしに聞いてみた。
「今日も妙な格好をしているね。そのファスナーは実際に開閉できるの?」
「妙な格好って…。センセイひどいなぁ。これね、ちゃんと開くんだよ。ほら」
マキセが肩の部分のファスナーを10センチメートルほど開くとブラジャーのひもがのぞいた。
「おいおい、ブラひも出てるぞ。しまえ、しまえ」
ファスナーを閉めるその様子は少しショックを受けているように見えた。
ああ、しまったな。中学生の女子に対しては言い方が少しキツかったかな。家庭教師になって5年経つがこの年頃の扱いは未だに難しい。
「しかし、アレだな。その服は便利かもな。太ったときに布の面積を増やせるし」
マキセは立ち上がり部屋の出口へ向かう。しまった。逆効果だったか。場を和ませようと思ったんだが…。
「おいおい、まだ終わりの時間じゃないぞ」
わざと明るい調子で言ったが効果はない。
部屋のドアを閉める際、マキセがつぶやくのが微かに聞こえた。
「…もう、死ぬしか」
5~6秒かかって頭の中を整理してから慌てて部屋から出た。マキセは台所の棚から包丁を取り出しているところだった。
「おい! 待て! 早まるな!」
風よりも早く移動し、マキセの前に立つ。マキセは顔をくしゃくしゃにして目からは涙が溢れていた。
「だって、もう…」
「大丈夫だ!」
なんだかよくわからんがこの場は勢いでなんとかしよう。詳しいところは後で説得すればいいだろう。
マキセの右手に目をやる。まだ包丁が握られている。
「…本当に大丈夫?」
包丁を持つ手の力が緩んだ気がする。もうひと押しだ。隙をみて右手を押さえよう。
「本当に大丈夫だ!」
マキセが笑った。その笑顔は今までに見たことがないくらい…。いや、ちがう。この世のものとは思えないくらい…。いや、ちがう。大宇宙の法則を破って理想が現実に表出したような…いや、ちがう。
気がつくと俺の腹に包丁が刺さっていた。どくどくと大量の血液が流れ、足元に血だまりをつくっている。目の前には上機嫌のままのマキセがいた。まるで手伝いをした後で褒められるのを待っている子供のようだ。意識が遠ざかってゆく。
こうして、俺は死んだ。
俺は目覚めた。
ここはどこだろうか。いや、それよりも。
目の前には女性がいた。美しい女性だ。
「マキセ…?」
大人びて見えるが面影は残っていた。俺と同じくらいの年齢だろうか。
「センセイ。久しぶり」
マキセが笑った。その笑顔は地球上にかつて存在したなによりも…。いや、ちがう。世界中の名画の素晴らしさを総合したような…。いや、ちがう。美しいという概念の上位概念をつくった更にその上の概念でやっと表現できるような…いや、ちがう。
気がつくと目の前にマキセの顔があり、口づけを交わしている状態だった。急に心拍数が上がり、体の芯から火照るようだった。マキセが俺の心臓に耳を当ててイタズラっぽく笑った。
「心臓の音がこんなに大きくなってる。ゾンビなのに」
ふいにぎゅっと抱きしめられる。服の趣味は相変わらずのようで、ファスナーが俺の肌に食い込んできて痛い。でもしばらくは我慢することにした。俺の肩にマキセの涙が落ちるのを感じた。