件(くだん)って知ってるか? まあ、お前は知らないと思うけどな。だって、お前が転校してきたのって1年の2学期だったろ? いろいろあったんだよ。俺たちの学年の入学当初にな。まあ、それは後で話すわ。順を追って説明した方がいいだろ。

件っていうのは、まあ、妖怪の一種だな。河童とか天狗とかの、あの妖怪だ。体は人間なんだけど、頭が牛なんだ。ほら、「にんべん(イ)」に「うし(牛)」で「件」だろ? ごくまれに牛から生まれてくるらしい。諸説では、これまで人間に殺されてきた牛の呪いが形になったものだとかなんとかあるらしいけどな。

……あ~。だらだら薀蓄ならべても仕方ないな。言いづらいけどな、単刀直入にいうと、水尾さんは件だ。あきらめろ。まあ、たしかに見た目は人間だな。しかも結構かわいい。お前が好きになるのもわかるよ。でもな、あれは仮の姿だ。本気だすと顔が牛になるんだ。……いや、嘘じゃないよ。水尾さんって、いつも一人だろ? 一回でも彼女と誰かが話してるの見たことあるか? さっきもちょっと話したけど、一年のときな、一度だけ、授業中に彼女が牛の頭になったことがあったんだ。……いや、かわいくはないだろ。牛だぜ? お前、マンガとかでデフォルメされた牛を想像してるだろ。リアルな牛って結構グロテスクだぜ? そんで、牛の頭のまんまで急に予言をはじめたんだ。……ああ、件ってのは、予言する妖怪なんだよ。そんでもってその予言は必ず当たる。的中率100パーセントってわけだ。あいつ一人いれば県内の占い屋を全部廃業にできそうなもんだが、それはできないらしい。自分の意志で予言できるわけじゃないみたいなんだ。突然、口が勝手に動き出すらしい。しかもそのときは強制的に牛の頭になるんだ。普段はかわいい顔してんのにな。かわいそうに。……え? お前マジで言ってんの? おれがここまで言ってんのにまだ告白する気なの? ……じゃあ、いいよ。好きにしろよ。お前がそこまで言うなら、俺はお前をとめないよ。だけど、最後にこれだけは教えてやる。彼女がクラス全員から避けられてる理由だ。恐れられてるといってもいい。……まあ、正体が妖怪ってだけでも避けられるのには十分な理由なんだけどな。それだけじゃないんだ。彼女が一年のときに予言した内容が問題なんだ。……。……。……。今後、どうするかはお前にまかせるよ。じゃあな。


 中山が立ち去った後。水尾さんに告白する、と決意した瞬間に俺の頭上へ花瓶が落ちてきた。カシャーンと花瓶の割れる音が俺の頭にみずみずしく鳴り響く。俺の頭は血まみれだ。意識を失いかけたが、なんとか大丈夫。彼女のいる教室へ向かうために踏み出した第一歩。その一歩の着地点に茶色の固形物を認識した。なぜこんなところにウンチが? 女子に告白しようというのにウンチのついた靴を履いていくわけにはいかない。あわてて右足つま先を左へひねる。着地した瞬間に右足のくるぶしに全体重がかかる。ボキっと鈍い音が鳴る。ああ、これは折れたな。折れたわ。俺、骨折したことないけど、これは折れたわ。結局ウンチも踏んだわ。靴下にベットリついたわ。こんな靴下じゃ、俺がどんなにいい子だったとしてもサンタさんからプレゼントもらえねえよ。ああ、でも、今日履いてきた靴下、茶色だったわ。あんま目立たないわ。良かったわ。……ちくしょう! ちっとも良くねえよ! 叫んだ瞬間にポトっと頭になにかが落ちてきた。反射的に右手で触り、そのまま右手を目の前までもってくる。右手についていたのは鳥のフンだった。頭上でトンビが飛んでいるのがわかる。ピーピロロロ。ピー。


 わたしは、『人間失格』の文庫本を閉じて、もの想いにふける。もともと、人付き合いがよい方ではないし、しゃべるのは苦手だから、今までも友達は少なかった。だから、今、友達がいないのもそれどころか残りの人生を孤独に暮らしていかなければならないのも、あながちあの予言のせいばかりとも言えないだろう。それにしても……。あの予言から一年たった今でも思ってしまう。なぜ人生で(件の生の中で)一回きりの予言が、人生で一番楽しいと言われる高校生のしかも授業中に出てしまったんだろう。しかも、その予言の内容が『わたしと仲良くする人間は不幸になる』なんて。件の予言って、もっと、こう、災害とか戦争とかのやつだと思ってたのに。個人スケールのやつだし予言してるときなんか顔が牛になっちゃうし。まあ、でも、こんな予言しかでないのは未来の世界がわりと平和だってことかもしれないから良いことかもしれないな。なんて思ってたら校舎の外から「ちくしょう! ちっとも良くねえよ!」と聞こえてきた。気になって窓から校舎裏をのぞくと、同じクラスの牛山くんがいた。周りには誰もいなかったから、牛山くんが叫んだんだろうな。でも、なんで? 不思議に思っていると、空から何かが牛山くんの頭へ落ちてきた。どうやら鳥のフンのようだ。思わずくすっと笑ってしまう。ピーピロロロ。ピー。と、トンビも牛山くんを嗤っているようだった。彼は校舎にむかっているようだ。右足を引きずっているように見える。怪我をしているのだろうか。一瞬、階段を降りていって助けようと思ったがそれはダメだ、と思い直す。彼を不幸にするわけにはいかない。すでにかなり不幸な状況みたいだし、この上、わたしが助けにいったりすると、どんな不幸が起こってしまうのかわかったものではない。自分の席にもどって、『人間失格』の続きに戻ることにした。彼には気の毒だが、わたしが助けにいけない事情はわかってくれるだろう。……あ、でも、牛山くんって、一年の途中で転校してきたんだっけ。わたしが件だってこと知らないかも。う~ん、でも、ほかの人からきっと事情は聞いてるよね。教室のドアがガラガラと大きな音をたてて開いた。牛山くんだ。なんだか知らないけど、全身ボロボロだった。頭にはさきほどの鳥のフンがこびりついていたし、足はひきずったままだし、制服はいたるところが破れていて部分的に肌が露出しているし、頭からは流血しているし、お腹には鉄パイプが突き刺さっていた。びっくりして、鉄パイプを凝視していると牛山くんと目があってしまった。あわてて文庫本に目を落とす。彼の方からカラン、カランとお腹に刺さった鉄パイプと机がぶつかる音がする。彼が、わたしの方へ近づいてくるのがわかった。教室には他にだれもいないから、わたしに用があるのは間違いなさそうだ。どうしよう、牛山くんは、わたしが件だってこと、知らないんだ。なんとかうまく逃げないと、彼が不幸になってしまう。わたしは『人間失格』を鞄にいれて、あわてて席をたつ。

「待って!」

牛山くんに呼び止められる。わたしはふりかえらずに教室の出口まで歩き、引き戸に手をかける。

「待って!」

後ろから肩に手をかけられる。

「あ、ごめん……」

彼がそっと私の肩から手を離した。

なんだかわからないが、しょうがない。彼はわたしに用があるようだ。でも、これからわたしが件であることを告白すれば彼の用事もなくなるだろう。彼の用事が何であったとしても自らの幸せを放棄してまで足さなければならない用事があるとは思えない。

「あの、わたし……」

振り返って、彼の顔をみる。彼は至極、真剣な面持ちだった。大きく心臓が脈を打った。この雰囲気は、もしかして……。忌々しい予言のせいで一生ありえないと思っていたシチュエーションではないか。男子と教室で二人きり、見つめあう二人、そして……。胸のあたりに何か棒のようなものが当たった。一瞬だけ間をおいて再び乳房に当たり跳ね返ってくる棒、また乳房に当たる。バイーン、バイーン。彼の腹に突き刺さった鉄パイプが、彼の腹を支点にして上下に揺れているのだ。わたしを追って走ってきたから、その振動でゆれているのだろう。それにしても、バイーン、バイーン、バイーン、バイーン。上下に往復する棒が何度も乳房にぶつかってはまた繰り返す。頭の中が真っ白になったあとに顔が赤くなってゆくのを感じた。なんだ。これは。なんなんだ。胸に当たってくる鉄パイプはそのままに背の高い彼の顔を見上げると、なんとも幸せそうな顔をしていた。

「最低! 死ね!」


 水尾さんが教室を出て行ったあと、俺はその場から動けずに立ちすくんでいた。

「おい、生きてるか?」

どこから出てきたのか中山が背後から声をかけてくる。

「聞こえてんのかよ? おい。とりあえず保健室に連れてってやるから。……と。なに? その鉄パイプ? 腹に刺さってんの? こりゃあ、救急車呼んだ方がいいな」

「……ああ、頼むよ。俺はまだ死ぬわけにはいかない」

なんで、俺は欲望に負けちまったんだろう。おっぱいをバインバインするままにまかせちまったんだろう。あ~あ、最低だ。水尾さんの言うとおりだ。俺は最低だ。

「え? お前泣いてんの? フラれたの?」

ああ、もう無理だ。もう立ってられない。最後のビンタが強烈すぎた。鉄パイプよりもずっと痛かった。攻撃された頬よりも胸のあたりが痛い。でも水尾さんに触れられてちょっと嬉しかった。力尽きた俺は膝から床にしなだれ落ちる。

「おい! 大丈夫かよ。しっかりしろよ! ……! ……! 」


 薄れてゆく意識の中で俺はあの時の水尾さんのおっぱいを思い返していた。後で中山に聞いたところ、気絶したあとの表情が相当に気持ち悪かったらしい。やっぱり、俺は最低だ。


#note文学系批評会

#小説

いいなと思ったら応援しよう!

吉村トチオ
最後まで読んでくれてありがとー