人魚が笑った
学校からの帰り道、ぼくはおじいちゃんの家に寄っていくことにした。いつもは寄り道すると怒るお母さんもおじいちゃん家なら大丈夫。おばあちゃんが死んでしまってからはもうずいぶん時間が経つけど、いつまでもおじいちゃんは元気がないままだ。だから、お母さんには、おじいちゃんを元気づけてあげて、と言われている。それに、今日はいい報告があるから、おじいちゃんも喜んでくれるかもしれない。
「おお、よくきたな」
おじいちゃんは日に焼けた浅黒い顔にニッと笑顔をうかべてぼくを迎えてくれた。
一見、元気そうだがぼくにはわかる。声に覇気がないのだ。
「なんか食いもん出してやるから、縁側で待ってな」
ぼくとおじいちゃんがお話しするときは縁側でお茶を飲みながら、というのが定番だ。ぼくはこくん、とうなずいて縁側に腰掛けて足を投げ出した。
すると、正面から涼やかな風が吹いて向かいの家の軒先にある風鈴をちりん、と鳴らした。夏の盛りではあったが、今日は風が心地いい。気分がよくなったので大きくノビをしていると、おじいちゃんが水羊羹と麦茶をもって縁側に出てきた。
「ふふふ。おじいちゃん、これを見よ!」
ぼくはランドセルに丸めてつっこんでいた賞状をおじいちゃんの目の前に広げる。
「おお、ヨシくんは水泳で一等賞か。すごいなぁ」
おじいちゃんのとってつけたような驚き顔がぼくは気に入らない。
「なぁ~んだ。あんまり驚かないんだね」
おじいちゃんは困ったようにハハハ、と笑う。
「そりゃあなぁ、ヨシくんは去年も一昨年も一等賞だからなぁ」
つまんないなぁ~、とぼくが足をぶらぶらすると、おじいちゃんはすかさず、でも一等賞はすごいことだよ、とフォローしてくれた。
「きっと、おばあちゃんに似たんだな」
「おばあちゃんって、泳ぐの速かったの?」
「そりゃあ、もう……泳ぐのが上手でな。町の連中はみんな、おばあちゃんが人魚なんじゃないかって噂するぐらいでな……」
おじいちゃんの顔はなぜか悲しそうだった。
「ねぇ、おばあちゃんってどんな人?」
ぼくがまだうんと小さな頃におばあちゃんは死んでしまったから、ぼくはおばあちゃんのことをほとんど覚えていない。
「きれいな人だったよ。不思議な黄色い瞳でな。それこそ、人魚のお姫様のようだった」
おじいちゃんが恥ずかし気もなくこんなことを言うから、ぼくが恥ずかしくなって耳が熱くなってしまった。女の人をそんな風にほめるのは恥ずかしいことじゃないの、とおじいちゃんに聞くと、ほんとのことなんだから仕方がない、と豪快に笑った。でも、おじいちゃんの耳が赤くなっていることをぼくは見逃さなかった。
「……おばあちゃんは変わり者でな。いつも不愛想で、人を寄せ付けなかった」
おじいちゃんは遠い目をしている。
「へぇ、それなのによくおじいちゃんはおばあちゃんと結婚できたね」
「不思議とおじいちゃんには心を開いてくれたんだ。この世のものとは思えないほどの素敵な笑顔をみせてくれた。でもね……」
おじいちゃんの声は、縁側に照り付ける太陽の日差しとは対照的にどこか陰を感じるものだった。
「おばあちゃんの家族は結婚に大反対だった。おじいちゃんは、どうしてもおばあちゃんと結婚したかったから、何日も頼み込んでやっと結婚できたんだ」
ぼくは、おじいちゃんがなんで悲しそうなのか不思議だった。反対されてたって、結局は結婚できたのだから、それは嬉しいことなんじゃないだろうか? おじいちゃんにそう伝えると、おじいちゃんは、悲しげな目でぼくのひざを見つめる。
「なぜ結婚に反対されたのか、その本当の理由にあとになってからやっと気がついたのさ。人の世はおばあちゃんには辛すぎたんだ。その理由はいずれヨシくんにもわかるだろう……」
夏の太陽の日差しを受けて、少年のひざに光るものがあった。
それは、赤くて小さな一枚のウロコだった。