It's a small world ! 第三話

……厳格な動作テストをクリアした後、R134号に仕事が与えられた。史上最高のロボットと名高いR134 号に何をさせるのかと世界中の注目が集まるなか、R134号に与えられた仕事は王国のお姫様の身辺警護だった。強大な力と明晰な頭脳をもつR134号にとって、それはあまりにも退屈な仕事のようだ。当時の王国は平穏そのもので、お姫様の警護に最高のロボットが必要とは思えなかった。実際、R134号の使い道に疑問を呈する人々は少なくなかった。しかし、そのような人々もミューズ博士がこの件に賛同しているとの噂を耳にするとおとなしくなった。ミューズ博士が賛同するのならばこの件はきっと正しいことなのだと考えたのだ。正確にいえばこの噂には誤りがあった。そもそも、R134号にお姫様の警護をさせてはどうかと提案したのはミューズ博士だったのだ。それに、R134号自身、特に不満を感じてはいなかった。理由は決まっている。不満を感じるようにつくられていないからだ。お城に搬送されたR134号はお姫様の部屋に通された。どのくらいの期間になるかはわからないが、ここがR134号の本拠地となるのだった。本拠地には大きなクマのぬいぐるみや上品なベッド、カラフルな書物が並べられた本棚、ちいさな机と椅子、ちいさな女の子があった。R134号には警護対象をインプットする必要があった。そのためには、まず警護対象を探さなければならない。R134号は部屋の中でお姫様を探すが、どうも見当たらないようだった。動く気配のないR134号をみて執事は不安気にせっついた。「おい、そこにいらっしゃる女の子がお姫様だよ。はやくご挨拶しろ」R134号は答える。「ちがう」R134号がクマのぬいぐるみに近づいていくのを尻目に、執事はこのポンコツ野郎、と心の中で毒づいた。このポンコツはクマのぬいぐるみと生身の人間の区別がつかないんだ。R134号はクマのぬいぐるみをさっと持ち上げるとクマの背中の部分にあるジッパーを開ける。すると、中から小さな女の子がいたずらな笑いを浮かべながら出てきた。「あはは、見つかっちゃったね」執事はさっと顔色をかえて先ほどまでお姫様だと思っていたものに駆け寄る。髪型と服装はお姫様のものだったが、顔はクマだった。「お初にお目にかかります、お姫様。今日からよろしく」R134号はうやうやしくお辞儀をしてみせた。「こちらこそ」お姫様はかわいらしくスカートのすそをつかんでかしこまって見せた。』…………『初め、市長は自らが治めることになったこの街の名を「希望の街」とするつもりだった。しかし、公文書にその名をしたためてから、はたと思った。ときとして強い肯定の言葉は皮肉にみえることがあるものだ。ことさら未来に希望を見出せない人々にとっては特に。実際にこの街に住まうことになる人々の大半は市長の危惧している「未来に希望を見出せない人々」なのだ。数年前からこの国では何をするにも意欲がわかず社会的活動に支障をきたしている人間が急増している。この街はそのような人々のためにつくられるのだった。市長は考えを進める。それならばいっそ、「療養の街」や「更生の街」としてしまうのもよいかもしれない。どのみち不躾な第三者によってこの街に不名誉なニックネームがつくのは免れないだろうから、こちらで先手をとるわけだ。腹をきめた市長は再びペンを手に取るがためらいの色を消せないその手が紙に文字を記すには至らない。いや、自棄になってはいけない。市長である自分がそのような姿勢で臨んではいけない。私の役目は市民に希望を抱かせることなのだから。……孤独な問答は幾時間にも及び、ブラインドから朝日の差し込む中、血走った市長の眼の前には未だに真っ白な紙が置かれている。コン、コンといたって事務的なノックの音がして市長の正面に位置するドアが開かれる。部屋にはいってきたのは若い男性だった。若者は市長が紙を真っ赤な眼で凝視したまま動かない様子をみてギョッとしてあとずさる。もしかして、あの人は昨晩からずっとこのままなのか? しかし、会議の時間は近づいている。この新しい街を計画する会議で、街の名を発表しなければならないのだ。心配する気持ちを隠して事務的に市長に聞いてみる。街の名前は決まりましたか? 市長は若者を手招きする。こっちへ来い、と。市長へ向かって恐々として歩み寄る若者。幅の広いグランド・デスク越しに手が届く位置まで若者が近づくと、市長は紙を手渡した。おずおずと受け取る若者。しかし、受け取る前から見えている。その紙にはなにも書かれていなかった。まったくの白紙だ。若者はたずねる。あくまで事務的に、しかし、その声は震えてしまっていた。これは、いったい……? 市長は平然と答える。見た通りだ。白紙だよ。若者はため息をつきたいのをこらえて続ける。では、街の名前は決まっていないのですか? いや、決まっている。と市長。きみ、白紙だよ。この街の名前は白紙だ。この街をシロガミ市と呼ぶことにする。』…………『見上げると、空を背景にして花瓶が落ちてくるのが見えた。校舎の屋根、晴れた空、白い雲、落ちる花瓶。伊万里焼だろうか。日光の反射が少ないことから表面に細かい傷が多く、なかなかの骨董ものであることがわかる。角度が悪くて表面の文様が見えにくいが、透明感のある磁磁に、藍・赤・金の色彩が鮮やかだ。もっと近くで見たいけど……。彼の願望は叶えられるだろう。重力の法則によって2F教室の窓から落とされた花瓶はまもなく地面に到着するが、その前に彼の顔面に寄り道するからだ。伊万里焼と彼の顔面がぶつかる音が中庭にかん高く響くが、吹奏楽部の演奏にかき消される。倒れる彼、脳内を巡る走馬灯、砕ける伊万里焼、響くホルン、ひっそりと開演される不運な中学生の放課後。周囲に人影はなく、しばらくしてから通りがかった女子生徒が気づくまで彼が人の目につくことはなかった。』…………『僕は想像する。ひとかけら、ピンク色の細胞が黒土の上にある。指先でつまむのも難しいほど小さいが、その存在はいかにも現実感を帯びている。ひとつ、またひとつと細胞の数を増やしていく。ゆっくりと、しかし確実に……。あせってはいけない。あせると意識が散漫になり、想像の中の細胞たちは闇の中に散ってしまう。これは積み木をつみあげていくのに似ている、と思う。胸のうちを期待と恐怖の混濁した、ホラー映画の観客然とした感情が占め、高く積み上げてゆけばゆくほどその感情はふくらんでゆく。やがて破裂しそうなほどに膨らんだその中に、かつて存在したはずの期待はいつの間にか消え失せ、純然たる恐怖がそのほとんどの割合を占めている。しかし、胸のうちがすべて恐怖に支配されたわけではない。わずかに残った恐怖ではない感情。それは好奇心だ。これほどの恐怖にさらされたら、人はどうなってしまうのだろうか。これほどの恐怖があなたを襲ったとしたら、あなたはどんな悲鳴をあげるのだろうか。これほどの恐怖を感じているというのに、なぜ僕はこの行為をやめないのだろうか。ピンク色の細胞たちは、自らの成るべき姿を夢見て増殖を続け、僕はその先を想像する。』…………

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吉村トチオ
最後まで読んでくれてありがとー