夏の最悪

夏休み中の校舎はしんと静まりかえっていてお通夜のようだった。 

教室ではザリガニを飼っており、ぼくは夏休み中のザリガニを世話する係なのだが、今日まですっかりそのことを忘れていた。もう夏休みも半ばを過ぎている。どうせ死んでしまっているのだろうが、やはり気になるので様子を見に来たのだ。

それに深刻な問題がある。

そのザリガニはリョウタがドブ川で捕まえてきたものだったのだ。リョウタは乱暴者でしょっちゅう問題を起こしてはよく職員室へ呼ばれている。夏休み前にはショウからお小遣いを巻きあげているのも見かけた。そんなわけでリョウタとはできるだけ関わり合いになりたくないのだが、ぼくが世話を忘れていたせいでザリガニが死んだとわかったら因縁をつけてくるにきまっている。想像すると胃袋がぎゅっとにぎりしめられたように痛んだ。 

 教室のドアをあけると、ヨシノブとショウがいた。 

なぜ夏休み中に教室にいるのか気になったが、まずはザリガニの様子をみなくては。2人の視線を尻目にぼくは教室の後ろのロッカー上にある水槽へ向かった。水槽から数メートルの時点で腐臭が鼻をついた。ああこれはダメだろうな。やはりザリガニは死んでいた。ひっくり返ってピクリとも動かない。指で軽くつついてみたが反応はなかった。ああ、どうしようか…。 

「おい、トモヤ」 

ヨシノブから声をかけられた。ああ、嫌なタイミングだ。リョウタの腰巾着であるヨシノブがこの状況を見逃すはずがない。力なく振り返る。 

「俺らの話聞こえたか?」

 さきほどから2人でなにか相談しているらしい。聞いてないと答えるとヨシノブは少し考えているようだった。 

「まあ、こっちに来いよ」

 悪い予感がしたが仕方なくヨシノブとショウのいる窓際まで向かった。やはりヨシノブを無視して帰っていたら良かったと後悔するのにはそう時間はかからなかった。 

 「さっきまで俺たち、廃工場で遊んでたんだけどさ。リョウタが二階から落ちちゃったんだよ。それで、ぴくりとも動かなくなったもんだから、俺たち、逃げてきたんだ」

 ありゃあ、死んだな。とヨシノブは深刻な様子で話す。ヨシノブの話し方はなんだか冗談じみていて言葉の意味が理解しにくかった。はあ、とぼくはため息をつく。 

「まあ、二階から落ちたっていうか、落とされたんだけどな。こいつに」 

ヨシノブはショウの腹を指の先で小突いた。そうだよな、とにらみつける。ショウは痛そうに顔をゆがめてうなずきながらもなにか言いたげだった。もしかしたらリョウタを突き落したのはショウではなくヨシノブかもしれないな、とぼくは思った。 

「それで、すぐにその場を離れてここへ来たんだ。アリバイ工作ってやつだよ。校舎へ入るとき守衛に名前と入場時間を書かされるだろ? そのときに入場時間をちょっとサバ読んだんだ。リョウタの死亡推定時刻より前になるようにな」 

ヨシノブは興奮気味につばを飛ばしながら話す。ここでぼくは気になったことを聞いてみた。なぜ、今ぼくにそのことを話しているのか。メリットがなにもないばかりか、ぼくが警察に密告するリスクがあるではないか。ヨシノブはにやりと笑って返答する。

 「念には念をいれないとな。リョウタが死んだとき、俺たちはお前とこの学校内で一緒にいたことにする。もしものときはお前に証言してもらう」 

冗談じゃない、ぼくは憤りを覚えた。ぼくはなにも関係ないじゃないか。テレビの刑事ドラマでそのような偽装行為が犯罪になることは知っていた。犯罪の片棒をかつぐようなまねはごめんだ。ぼくの心情を察してかヨシノブは舌打ちをする。 

「だめだね。お前には証言してもらう。わかってるのか? もし俺たちが警察に捕まったら、廃工場にはお前も一緒にいて、リョウタを突き落したのはお前だと言ってやる。俺とショウの二人が証言すれば数ではこっちが有利だ」

 思わずショウの方をみるとヨシノブの言葉にうなずいていた。二の腕のあたりをつねられていて目には涙が浮かんでいるようにみえた。とんでもないことに巻き込まれた。隠ぺい工作に協力するほかないようだ。不本意ではあるが、ぼくはヨシノブに従うことにした。 

 それからの長い時間、ぼくたちは警察に個別で尋問された際に口裏を合わせられるように綿密な打ち合わせをした。ザリガニの世話をするために3人で約束して学校へきたこと。ザリガニの世話を終えたあと、3人で遊ぶ約束をしていたこと。ザリガニが死んでいたために後始末に時間がかかり、学校を出るのが遅くなってしまったこと。 

 もの覚えが悪いショウにヨシノブがメモを書かせている間、手持ちぶさたになったぼくがふと窓をみると夕立ちが降り始めた。みるみるうちに勢いを増し、耳をつんざくような雨音が教室を包み込んだ。雨が降ってきたけどどうしようか、と2人の方を振り返るが誰もいなかった。 

脳が急ブレーキをかけたように一瞬、頭の中が真っ白になって完全な静寂を感じた。物音が完全にシャットアウトされた。一瞬の後に再び教室が雨音に包まれる。 

2人はどこに消えたのだろう。これ以上やっかいごとはごめんだと大声で2人を呼ぶ。10秒、20秒しても雨音以外の音は聞こえない。トイレにも廊下にも誰もいない。いい加減にしろ。ふざけている場合じゃないだろう。激しい憤り。乱暴に座席の1つに腰をかけ、背もたれによりかかって腰の位置を前にずらし、わざと行儀の悪い座り方をする。すこし落ち着こうと目をつむる。

 ザリガニが頭に浮かんだ。死んでいるザリガニ。今もぼくからわずか数メートルの位置で死んでいるザリガニ。ひっくり返って恨めし気に宙をにらむザリガニ。その視線の先にいるのはぼくだろうか。 

そういえばリョウタも死んでいるのだ。本当だろうか。なんだか信じられない気持ちだ。もしかしたら、あの2人、ぼくをからかっているのではないだろうか。廊下に面したあの扉からひょっこりリョウタがでてくるのではないかな。そうだったらどんなにいいだろうか。それはそれで腹のたつことではあるが今の状況と比較すればなんてことはない。


 廊下からぴちょん、ぴちょんと雨粒の垂れる音がした。外からやってきた誰かが、廊下を歩いているようだ。 

ヨシノブかもしれないし、ショウかもしれない。

しかし、ぼくは確信していた。廊下をこちらへ向かってくるのはリョウタだ。 

トモヤの考えは惜しくも外れていた。それはかつてリョウタではあったが、そのときはすでにリョウタではなかったからだ。

 リョウタは僕がザリガニを殺したのを知っていて、だからぼくを殺しにくる。ヨシノブとショウはすでに殺されたのだろうと思った。ぼくは殺されるのだろうな。嫌だな。嫌だな。殺されたくないな。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。

 トモヤの考えは正鵠を得ていた。トモヤが死にたくないと感じていることは真実であるし、トモヤが間もなく殺されることもまた真実であるからだ。


 がらっ、と音をたてて扉が開く。

そこにはザリガニの頭をしたリョウタが立っていた。

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吉村トチオ
最後まで読んでくれてありがとー