透明人間
透明人間とすれ違うにはコツがいる。とにかく目を凝らすことだ。目を凝らしたって透明人間が見えるわけではないが、その痕跡を見出すことはできる。透明人間を透過して見える風景は微かではあるが色がくすんで見えるし、看板は文字が不鮮明で読めなかったりするのだ。ただし、透明人間の背後には常に色鮮やかな風景や看板があるわけではないので、大抵は気づかずに肩がぶつかってしまったり時には全力疾走中に衝突して痛い思いをすることになる。透明人間はわりと紳士なのでそんなときは尻餅をついている私に優しく手を差し伸べてくれるが、その差し伸べられた手は私には見えないので二回に一回は手を握りそこねてバランスを崩すはめになる。一応、正面の虚空に向かって謝りはするものの、こちらとしてはお前が透明なのが悪いと思っているためにぞんざいな言い方になってしまう。さぞ態度が悪い女だと思われていることだろう。
そんなわけで、わたしは透明人間が好きじゃない。ただ、握ってくれた手が大きかったりごめんと謝る声が少し低くていい感じがしたり基本的に紳士な態度だったりするのでどんな顔してるんだろうと気になったりもする。少しだけ。
ある日、透明人間の彼の訃報を聞いた。交通事故らしい。透明だから車に轢かれやすいのだろう。彼の大きな手や低めの声を思い出す。顔はわからないから、代わりに彼の匂いを思い出す。彼はいつもかすかにミントの香りがしていた。
それからわたしはミントが香るたびに彼を思い出すようになった。この気持ちはきっといつまでもは続かないだろうけど、できるだけ長く続けばいいと思う。
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