歴史と経済84~学問の自由~
自由が保障されている状態だと、自由のありがたさに気づけない。
今や、自由が空気のような存在に感じられることさえある。
人類が獲得してきた人権について勉強する時でも、それはもはや暗記の対象になり下がることもある。
かつて、国家という存在は十分な社会保障を提供しなかった。
一部の者の富と権力のため、大部分の民衆が搾取され、自由が制限された時代が存在した。
生まれた時から、人生の大半が決定されていた時代があった。
そして、国家が危機や戦争に直面した時、民衆は命を差し出し、自由を剥奪されることもある。
国家権力の制御には、本来的に慎重さが求められる。
この統制を失ってしまうと、人権はいとも簡単に踏み躙られてしまうだろう。
戦前の1930年代以降、自由主義的学問が弾圧される事件が相次いだ。
滝川幸辰、美濃部達吉、矢内原忠雄、河合栄治郎、津田左右吉といった識者たちが次々と休職処分となったり、辞職に追い込まれたりした。
ファシズム化する国家の在り方や二・二六事件を河合栄治郎は敢然と批判した。
国家と人権の関係は常に注視されるべきところであろう。
少し油断すれば、国家の専横がまかり通ることもありうる。
国家という大きな権力機構を憲法で縛る立憲主義の考え方は、尊重されねばならない。
往々にして、国家が傾く時、経済が関係している。
人は権力関係のことよりも、明日の生活に注意を払うものだ。
時に、筋道が通っていない行為であっても、目的達成のために正当化されてしまうことがある。
満州事変が行われる以前の日本は、やはり経済で苦しんでいた。
そして、現状打破の名目で軍人の独断専行やクーデターが起こるようになっていく。
たとえば、五・一五事件など、一連の国家改造運動がそれである。
社会の中では、このような事件に対して同情的な世論が生まれた。
そして、軍部の台頭を許し、自由に発言できない社会の空気が生まれてしまった。
この「空気」というものが、存外重いものなのだ。
言いたくても口にできない自由への制限。
それは、当時に生きなければ実感できないであろう。
このような状況では、自由への渇望が起こる。
しかし、一旦進み始めた国家の進行を止めることはできなかった。
自由も人権も制限される社会状況が生まれ、日本人は戦争への道を進んで行ってしまったのだ。
このことからも、政治と経済がともに学ばれることは合点がいく。
そして、この二つの要素は歴史を創り、時に大きく変えてしまう。
人事そのものである政治や権力の怖さ、現実世界そのものである経済は深く学ぶほど、私たちに現代を考える教訓を与えてくれる。