勉強を楽しくする方法88〜発問力〜

これからの時代、発問する力がより重要になってくると直感しています。

「それは例えばアルバート・アインシュタインが少年のよう自分に尋ねた質問   
 だ。『もし光線の上に乗って飛んだら何が見えるだろう?』この質問が相対 
 性理論や原子力時代を導き出した。」
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』
(ケヴィン・ケリー)より

ビッグデータを活用することでGoogleの回答力の精度は高まる。
より正確な回答が得られることを前提にして私たちは行動するようになるでしょう。
正確無比の回答を得ているにもかかわらず、私たちは特段驚きもしません。

しかし、この回答を得るために本来は時間もコストもかかっていることを知るべきです。

どんな質問に対しても、私たちが自ら調べるとなると、なかなか骨の折れる作業ですよね。

図書館に行き、本を探したり、人に聞いてみたり、なかなか厄介です。
もちろん、こういうことを通して自分で情報をとりにいく勉強ができるのであり、その苦労も体感できるわけですが、これを無料でGoogleはやっていくれていることは驚嘆すべきことでしょう。

そして、回答の質が今後ますます高まっていくことも確実です。

しかし、私たちはそんなことは気がつけば、「そうなっていた」程度のことで「そうなるだろうと思っていた」程度の感覚ですんなりと受け入れて終わりだと思います。

そして、回答力の高いGoogleと今後も生きていくことになる。

そう考えたときに、優れた回答の方にそこまでの価値を見出さなくなる。
むしろ、どんな問いを設定できるかが重要な能力と誰もが見なすようになるでしょう。
回答力がピカイチでも、問いを設定するのは私たちです。
私たちが抱いた質問にGoogleはなんでも答えてくれます。
最高の品質で。
だとしたら、私たちがどんな問いを発するかで得られる回答の質も違ってきて当然です。

私たちが賢い問いを発するようになった分だけ、Googleのビッグデータの中身も豊富になってGoogleの回答精度はより高まるでしょう。

今でも検索していて、問いの立て方で表示されるサイトが違うことを経験することは、誰にでもあると思います。
自分が求めている回答を得るために、どんな質問を入力するのがいいのかについて、私たちは頭をひねっているのではないでしょうか。

しかし、これは考えてみるとすごいことだと思いませんか。
私たちが「疑問に思うこと」さえできれば、ほとんど回答が得られてしまう。
たとえば、「人狼ゲームと歴史教育で何かできないかな?」とか「ケーブルに繋ぐことなく、Air充電できる技術はないだろうか?」とか突飛なアイデアを諦める必要がなくなるのです。

それを入力して、たとえ世の中ではまだ実現されていないアイデアだったとしても、その疑問を問うこと自体が世の中にとって価値に繋がっていくのです。
少なくとも価値に繋がる可能性がある。
現にGoogleは回答しようと、探索する。
瞬時にその回答に寄与するサイトを表示するかもしれません。

私たちはそのサイトを参考にして、本気で問題解決に乗り出すこともできます。
そして、本当にその確固たる解決法を導き出せたら、すごいことですよね。
それがまた、Googleの検索の有力候補となっていくわけです。
次の瞬間には、世界の誰かがその解決法を飛躍的に高め、ノーベル賞クラスの大発見をすることさえあり得ることでしょう。

こうなってくると、私たちが描く空想や想像といった類のものを、今こそ大事に守っていく必要があるのではないでしょうか。
こんなことを言うと、「絵空事を描くのではなく、現実的にものを考えなさい」とよく注意を受けるのが現実でしょう。

しかし、そういう風潮を度外視して、一度何でも言っていいいし、考えていい状態にしてみる。
どんな愚かなことでも、非現実的なことも、アイデアとして出してみる。

そんな状態に置かれてみると、私たちがGoogleをも唸らせる問いを考えるためには、知識や教養を身につけていることが重要だと気づくでしょう。
Googleを唸らせるほどの知識・教養のレベルやその組み合わせのレベルは、生半可なモノでは効かないはずです。

単発の知識の確認のような質問は、とっくの昔に回答が済んでいるのです。
私たちが面白いと感じるのは(もちろん人それぞれなのですが)、分かってそうで意外と知られていない事実であるとか、あればいいのにまだ実現されていない理由であるとか・・・

既知と未知の間にあるグレーゾーンの部分にアクセスした時に、知的好奇心を刺激されるのではないでしょうか。
そして、人類にとってもその部分への頻繁なアクセスと解決や前進は大きな価値を持つことになるのです。

そう考えると、私たちにとってたくさんのことを知り、情報を蓄え、観察し、考察し、仮説を立て、ぶっ飛んだ大空論を唱え、あり得ない分野の組み合わせを提唱できる力を持つことが重要とされるのではないでしょうか。

非現実的とされてきたことがYouTubeで話題に上るのであって、これからは不可能だと思われていたことがこの世界のどこかでは実現でき、それが標準化されていくという時代になっていきます。

非現実の実現が一瞬で世界中で共有され、それが当たり前となっていくのです。

そういう時代の中で、「そもそもこれは現実的だろうか?」と逡巡する必要はないでしょう。

優れた問いを発することができる人が、優れた回答を手にする権利を得るのです。

私たちは何を思いつくことができるのだろうか?

それが問われる時代が来ているのだと思います。

そして、質問を発する力を高めるためには、勉強で知的基盤を築くことでしょう。
学ぶべきことは増えることはあっても、減ることはありません。
世の中的には一つのことが発見されるたびに、二つの分からないことが生まれるそうです。
つまり、解決するたびに問題が増える。

パラドキシカルではありますが、それでも私たちは自分の視界に入るものが指数関数的に増加していることは確かです。

何も学ばなければ、ある情報や知識の存在を全く知らず、触れずして人生を終えることもあるでしょう。

その知識さえ知っていれば、あなたであれば、とびきりの問いを発することができたかもしれないのに、です。

だからこそ、知ることを楽しみ、続けることが物を言う時代になってきているのだと思います。

未来において、勉強を楽しむ力は威力をきっと発揮するでしょう。

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