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今日できる全力をやれば良い

効率と面白さという問題がある。
受験というのは、戦争と同じだから相手よりも点数を取らなければ、自分が落ちてしまう。
それは学問本来の楽しさとはまた違う物差しで、取り組んだり考えたりすることに繋がるだろう。
学ぶことは本来面白く、無限で、広い。
可能性の宝庫だといっていい。
しかし、効率を優先すれば、自分で追究する楽しみは損なわれる。
問いから始まった発見や気づきが、暗記の対象へと変わってしまう。
ただし、楽しければそれで良いのかという問題もある。
学問はどこかで、誰かの役に立ち、社会の問題を解決するというところがポイントでもあるだろう。
そして、それもまた色んなデッドラインやリソースの限界という問題に直面することになる。
研究であれば、資金や環境がものをいう場合もあるだろう。
だからこそ、学びにユートピアのような理想郷を求めるのもまた違い、現実と向き合う必要がある。
学ぶ楽しさといっても、相手の制約、時間やお金の問題など、さまざまな縛りが考えうる。



学びに楽しさを求めるのは本筋かもしれない。
しかし、絶対的に束縛される要素は出てくる。
それでも押し切るというある種の精神的な部分が重要になるのではないだろうか。
つまり、自分らしい作品や学びを実現しようと思えば、時間がかかってしまう。
単なる月並みの、個性のないプロダクトではなく、自分だからこそ出せる作品に仕上げてみる。
自分のこだわりが、時間の制約を突破できるかどうか。
自分の問いにかけていく無我夢中さや向こうみずな情熱というものが世界を面白くするのかもしれない。


こうした試行錯誤によって生み出された作品には、影響力があるからだ。
だからこそ、その日その時、その時代だからこそ書いたり、生み出せたりするものがあるのではないだろうか。
そして、このようなプロセスで時間と労力が注がれたプロダクトを大切にしていくべきだと思う。
こうした考え方は決して万人受けしないものかもしれない。
面白くなくて良く、役に立てばそれで良いという人もいるはずだ。
役に立たなくとも、生活の糧になっていれば良いという人もいるだろう。

しかし、どこかに自分のプロダクトを持てるフィールドがあれば、それだけで人生は面白くなっていくのではないだろうか。

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