86 自分の価値観を発揮する
情報に対して受け身になってしまうと、受け取る効率が悪くなる。
本ばかり読んでいると、ある時点から速度が明らかに落ちてくる。
これは、何故だろう。
パッと考えて出てくる答えは、情報を受け取りっぱなしになっていて、情報過多の状態になっていると言うことだ。
脳の中が情報で飽和してしまっているのだ。
呼吸のように、吸った息は出さないといけない。
インプットとアウトプットの往還によって学びは深まっていくと言えるだろう。
それでも、明確な問いを探るためのインプットであれば、ある程度モチベーションも効率性も維持されるのではないだろうか。
要は、自分の興味を喚起する内容で、自分が深く探究したいと思える内容であれば、そう簡単に満たされない。
次々に自分の中に疑問が出てきて、さらにインプットを重ねることもあるだろう。
それは、あらゆる情報を網羅的に受け取っていたレベルから、何か一つの分野に自分の興味の範囲が収斂されていくプロセスでもある。
ターゲットが先鋭化されるほど、自分の興味も際立って高くなっていく。
このように考えると、最初の時点で学ぶ対象に関心を持っているかは重要な問題なのだ。
初めに面白いと思えなければ、全ての情報に受け身な態度で接してしまう可能性すらある。
本当は誰もが自分の価値観を持っているはずだ。
そんなものはないという人であっても、論争問題にイエスかノーかを選択することはできる。
その選択の根拠を考えているときに、自分の価値観が発揮される。
自分の価値観が学びに活かされ、統合されていくときにインプットの効率性が高まり、学びは深まっていくのではないだろうか。
客観中立に体系的に学ぶと少しずつ疲弊していく。
間違いのない知識や技術は大切には違いない。
しかし、選択するということは他の立場を切り捨てるということでもある。
自分の価値観を発揮するということは、一定の領域に絞り込むということだ。
だから、偏ってしまう可能性もある。
裏を返せば反対の立場を検討し、熟慮を重ねることも必要になる。
ただし、自分がどんな立場なのかということを明確にしないと、情報は受け取って終わりになってしまう。
活用の目処も立たないだろう。
そういう意味では、アウトプットは最大限自分の価値観を発揮できる手段でもあることは確かだ。
インプットしている時でも、受け身にならず、主体的に取り組むと楽しさも効率性も違ってくる。
情報に埋没せず、自分の価値観を大切にしながら学ぶことで、学びの器は大きく膨らむのではないだろうか。