歴史と経済42〜絞り込み〜

自分が夢中になれる分野を見つけることができれば、生涯食っていける可能性がある。
あるいは、日本中、世界中をまたにかけて友人ができるかもしれない。
自分と同じ分野で最先端を走る人々と仲良くし、彼らと切磋琢磨することができるかもしれない。
そして、それが熟達すれば、人々の生活に役に立つこともあり、お金につながることもある。
それはそれで、素敵な人生の一つではないか。
ゆえに、自分と相性の良い分野との出会いは、重大な体験となりうる。


相性が良いというのは、少なくても自分が人よりも「できる」ものであり、「得意」であることが前提となる。
さらに、それに取り組むことが面白く、楽しいとあれば最高だ。


歴史教育でいえば、古代から現代まで全てをやることがしんどいという人は少なくないだろう。
しかし、ある時代に特定されれば、歴史が楽しい、好きだという人もいるはずだ。
これからの時代、歴史の全てを網羅的学ばなくても良い時代になってくるかもしれない。
全てと言っても、ここでは教科書に載っている範囲を指しているのだが、それでもかなりの量になる。
それを全部やってどうするというのだろう。
確かにGoogleで調べれば、一発で分かってしまうのだ。
そんなことを興味も意欲もない状態で、とことん大量に覚えてどうするというのだ。

どうせならば、とことん絞り込んで自分の興味ある範囲を深める。
その深め方を学び、他の分野の学習にも活かすという学習が未来型なのかもしれない。

もちろん、単に知識を身に付けているだけでも価値があると、個人的には思う。
観光地に行き、その場で調べる知識というのは、往々にして浅い段階で終わる。
詳細に知ろうと思うならば、それ相応に時間はかかるものだ。
そういった深淵な知識を持っているからこそ、観光地に行っても多面的に考えることが可能になる。
つまり、はじめから体系的な知識を持って観光地に行くのと、その場で付け焼き刃的に習得する知識で観光するのとでは、認知・理解に大きく差が出てくると思うのだ。

しかし、である。
世の中の情報は多すぎる。
勉強すべきこともそもそも増大しすぎた。
一方で、勉強しないで良いことも出てきているのではないか。
学校で教わったことの一部は、一生使うこともなく終える知識もあるだろう。
それでも、先述した理屈で知らないよりは知っている方がいいのかもしれない。

しかし、である。
さらに突き詰めると、いつかどこかで役に立つかもしれない知識を網羅的に学ぶことを放棄し、面白いこと楽しいことに思い切って絞り込んで学んでみることで人間のポテンシャルは発揮されるかもしれないとも思える。
思い切って割り切り、切り捨てるのだ。
もちろん、切り捨てるリスクはあるのだけれども、それ以上に絞り込むことで人間の能力が開発されるメリットに賭けるのだ。


もっと言えば、である。
絞り込んだ内容を学んだことで興味・意欲が喚起され、他の分野に対する好奇心が育まれることが期待できないだろうか。
絞り込みはしたけれども、結果的には大事なところは取りこぼさず、取り込んでいくという形だ。
大体、物事のコアな部分は全体の2割くらいではないだろうか。
8割を思い切って捨てることで、見えてくる面白さというものがあるのではないか。
その8割に後ろ髪引かれることが大事であり、それが具体的には意欲・興味となって出てくるはずだ。

そうした一連の出会いが人生を変える「出会い」をもたらすことも考えられる。


歴史に関して言えば、たとえばアジアを中心とする世界史という風に絞り込む。
ヨーロッパが中心となる世界史がこれまでの定番だったけども、これから世界経済の主軸がアジアに推移してくるに連れ、アジア史へのリテラシーの習得は今後生きる上でも役に立つだろう。
もちろん、関係してくるところはヨーロッパも学べばいい。


そうなってくると、これまでとはまた違った歴史観が生まれて来るから不思議である。
ヨーロッパ中心の歴史観で言えば、大雑把に言うとコロンブスが新大陸を発見して以来、やれスペインだ、イギリスだのとアジア・アフリカを搾取していく過程に集約されていき、ヨーロッパやアメリカを中心に世界は一つになったという結論に行き着きがちである。
そして、欧米は経済的に豊かで、貧しいアジア・アフリカというイメージが形成されることとなる。


しかし、アジアは大英帝国のインフラを利用して、戦後たくましく飛躍した。
確かに、戦前イギリスの経済的循環の一部にはなっていたものの、アジアからすればそれを基礎に戦後やれ香港だ、シンガポールだのと東アジアの奇跡と言われるまでの復興を果たしたではないか。

その過程を現在の情勢と関連づけて考えることができれば、現在のアジアの経済成長に合点がいくだろうし、日本の特殊性にも気付けるだろう。
日本という国は、戦前ヨーロッパにも飲み込まれず、戦後においても世界に存在感を示した。
はて、どんな歴史をお持ちなのかな?という具合に。


視点を変えれば、見方というものは必然的に変わるものだ。
そして、視点を変えるためには、内容を変えてみることである。
内容を思い切って精選し、絞り込む。
そのことによって、得られる果実は全く違う味がするはずだ。

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