勉強を楽しくする方法44〜情報シャワーを浴びる〜

大量の情報に埋没するというのは、インプットを得意とする人にありがちである。

特に、社会科など知識を求めるだけというスタンスで、知識を大量にストックしてきた人間にとって、情報をシャワーのように浴びることは慣れっこだともいえる。

しかし、情報を浴びるだけではいけない。
自分の頭で考えること。
これがなかなかできていない。

事実、私がそうだった。

自分の頭で考えることは、けっこう面倒ではないだろうか?

よく数学で自分の頭で考えることに、何の意味や価値があるのかと疑問に思っていた。
どうせ模範解答が出ているのならば、それを考えずに見た方が早いし、正確ではないかと考えていた。
下手な考え、休むに似たりというふうに。

しかし、それは間違いかもしれない。
別に人類で初めての発見が出来ることだけが、自分の頭で考える意味ではないのだ。
日々、千変万化する日常生活の中で、自分の頭でこれから起こる事態を予測したり、「なぜ、こうなるのか?」という問いを立てて調べていくことは次の行動を変化させる。

これは、単に情報収集したり、知識をつけることとは違う。
自分で考えたり、調べることは生きる上で価値を生み出す。
人類初の解決策にはならなくとも、その場で自分なりの解決案を生み出す。
これは才能ではなく、考える習慣があるかないかの差である。

インターネットの情報を無尽蔵に収集することはできない。
人生には限りがある。
より実力ある情報を取得していくためには、「正しい問いを設定する」ことが不可欠になってくるだろう。

それを生み出すには、考える習慣を作っていくこと。
知識を蓄えるだけでなく、自分の意図や疑問という線に則って情報を収集し、自分の意見を形成していくこと。
これが生きた知識を身につける方法だ。

本来は社会科という科目も暗記科目のアプローチではなく、そのような形で授業ができたら理想である。

しかし、言うは易し、行うは難し。
そのスキルを個人に身につけさせようと思えば、なおのこと難しい。

知識を単に詰め込んで蓄積していく力は確かに大切。
これがあればこそ、好奇心をエンジンにして、強力に幅広い分野の知識を習得することができる。

ただ、それだけが情報シャワーを浴びることのメリットではないとおもう。
たくさんの知識を入れるのは良いが、入れただけで最初は満足してしまう。
しかし、その知識は言うなれば自分の思考は介されていない。
酷な言い方をすれば、その発信元からのまた聞きに過ぎない。
もちろん、たくさんの知識を持っているだけでも、日々の話題には付いていけるし、周囲から物知りだと認められるかもしれない。
他人からの受け売りを我が物顔で、流暢に語れば、色んな人がこぞって聞いてくれるかもしれない。

ただし、ある時ふと思うのである。
これは果たして「自分の意見なのだろうか?」、と。

自分が自ら考えて調べてみることは自分なりの発見であり、他の人がみんな知っていることであっても、それは大きな一歩となる。

自分なりの疑問や興味に基づいて収集された情報や築き上げられた体系的な知識は、あなたがこの世界を自分の頭で理解し、自分の考えで世界にアプローチすることを可能にしてくれる。

そして、人生を変えるだろう。

どんな優れた検索エンジンも、単に知識や情報を調べるだけで終わってしまってはもったいない。

どうせなら、自分が疑問に思ったことを深く調べることに使ってみたい。
そうする過程に必ず、値千金の発見がある。

それが人類最初の発見でなくてもあなたの近くにいる人は、きっと興味をもってあなたの話を聞くに違いない。

さあ、勉強を楽しもう。

このことを知っているだけで、勉強の形は変わっていく。

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