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映画「小学校〜それは小さな社会〜」と中央審の審議まとめと1人分の覚悟

2024年の暮れに映画館で一本の映画を観た。

「小学校〜それは小さな社会〜」

この映画、ドキュメンタリー。ナレーションがないと聞いていた。
受け止め方がきっと難しいだろうと感じたので、山崎エマ監督の舞台挨拶がある日に合わせて映画館へ行った。
御本人の口から、創り手の意図をうかがいたかった。

ここから先はネタバレ注意。
山崎エマ監督は、日本の公立小学校に通い、中学校はインターナショナルスクール。海外生活も長い。
「地下鉄のホームに鼠がいない奇跡。時間通りに電車が来る奇跡。」
と、日本の良さを浮き彫りにしながら語られた。
そんな日本人の「当たり前」を支えている日本人の感覚。価値観。
その原点が、小学校にあると言う。
「日本の学校教育の当たり前は、当たり前じゃない」
生活までも教育の対象としているが日本の学校教育。
その良さは国際的に評価されていると言われている。

一方で、その教育が子どもを苦しめているかもしれない。
子どもを伸ばせていないかもしれない。
先生を苦しめているかもしれない。
今、日本の学校で起きている問題。
不登校児童生徒の増加、教師の多忙と教員不足。
これまでの日本の学校教育の取り組みから考えると、これも当たり前の結果だと僕は思う。

山崎エマ監督は、ありのままを皆に観てもらい、良さも悪さも、まずは議論のテーブルに乗せたかったのだと思う。
舞台挨拶で僕はそう受け止めた。

スクリーンに映るのは公立小学校の日常の様子。
どこにでもある学校、子どもたちと教師たちの営み。
ただ、ただ、美しい日常。
そして、嫌悪してしまう日常。

脱いだ靴は、きれいに揃える。
係の子どもたちが頑張って靴箱を確認している。
どうすればもっとキレイになるか?
相談しながら成長しようとしている。

オーディションを経て新入生の歓迎のための合奏チームに入った子ども。
自主練習を怠って合奏練習に臨み、上手くできない。
教師の叱責を受けて落ち込み、教師に励まされて努力し、成長していく。

見方によっては、尊い。
見方によっては、微笑ましい。
見方によっては、残酷。
見方によっては、息苦しい。
そんな映画だった。

義務教育の在り方ワーキンググループ審議まとめ

この映画を観たのと同じく、2024年の暮れに中央教育審議会の義務教育の在り方ワーキンググループ審議まとめを読んだ。
「日本型学校教育の強み」「日本の学校教育の弱み」が整理・明記されている。
これが映画とリンクする。

【日本型学校教育の強み】
・知・徳・体をバランス良く育む全人的な教育を重視し、国際的にも評価されていること。
・こうした全人的な教育を重視する考え方が学習活動における教師による子供たちへの働きかけに反映され、教師は、子供たちへの信頼や期待の下、その価値ある行動を見取り、子供たちに伝えることで意識付けを行うという積み重ねを通じ、その資質・能力を育成してきたこと。
・OECDのPISAにおける世界トップレベルの数学的リテラシー、読解力、科学的リテ ラシーなど、国際的に高い水準で子供たちの知識や思考力を育んできているほか、家庭の社会経済的背景(SES)が児童生徒の学力に影響する度合いが低く、さらに学校の授業などがそれを軽減している可能性があること。
・学習機会・学力や全人的な発達・成長を保障することに加え、人と安全・安心につながることができる居場所・セーフティネットとしての福祉的な役割も担ってきたこと。

義務教育の在り方ワーキンググループ 審議まとめ
令和6年 12 月 24 日

【日本型学校教育の弱み】
・「全ての子供たちが同じことを同じように出来るようになる」ことや、全員を同じ「正解」に導くことを目指し、過度に同調圧力を高めている傾向があること。
・このような有り様は、結果として子供たちの学習の自立を損ない、子供たちを自立した学習者として十分に育むことができない場合があること。
・子供たちの行動を統制したり、管理したりする傾向が強く、形式的な伝統行事の実施等の前例踏襲による学校運営が教師の多忙化にもつながっていること。
・子供たちの幸福度は世界と比べ低く、自己肯定感や自己有用感、自ら未来を切り拓いていく力や意識を高めていく必要があること。

義務教育の在り方ワーキンググループ 審議まとめ
令和6年 12 月 24 日

ざっくりいうと、
強みは、
・全人的教育
・それを支える教師
・国際的なテストで好成績
・他国より経済的格差を学力格差につなげない
・学校の福祉的な役割
弱みは、
・全員同じ「正解」を求める
・それが学習の自立を阻害
・統制と管理、前例踏襲による教師の多忙
・子どもの幸福度が低い
という感じ。

強みと弱みが表裏一体。
今後どうすればいいのだろう。

世界のどこかにユートピアがあるわけじゃない。
日本では、フィンランドの教育が理想のように語られる時期があった。
今もそう語る人がいる。
フィンランド教育を失敗と語る人もいる。
それも、一方向から見た事実の1つかもしれない。

僕は、フィンランドに行ったことはない。この目で見ていない。
テストのスコアをもとに教育改革の成否を語る気もない。
ただ、ユートピアではないだろうと思っている。

どこにもユートピアはないのだから、
日本は、これまでの日本の教育の歴史に立脚して、
今後の日本の学校教育を創るしかない。

映画を見ると、学校の「当たり前」の指導に「?」がつく。

靴箱のくつは、どのくらい揃えて入れていればOKなの?
そもそも、揃えないとダメ?

給食は、並んで受け取らないとダメ?
全校集会は整列する必要がある?
体操座りする必要がある?
全校集会で校長先生が話している時におしゃべりしない?

授業中の机の上に水筒を置いてはいけない?
授業中にガムを噛んじゃダメ?
「明日捨てるから」ってゴミを机上に放置して帰ってもいい?
やりたくなければ、掃除時間はおしゃべりしていてもいい?
掃除時間は必要?

教師を始めた頃に比べて、徐々に迷うようになった。
昔の僕は「そんなの当たり前でしょ」と指導していた。

学校の「〜するべき」が学校にいる人々を息苦しくさせていないか?
子どもと教師を苦しめるすべての「〜するべき」をやめても、日本の「当たり前」は育ち続けるのか?
全人的教育って、何だ?

映画「小学校 〜それは小さな社会〜」と「義務教育の在り方ワーキンググループ審議まとめ」は、
これまでの学校教育の「当たり前」が「当たり前」のままでいいのか?
と問いかける。

「そんなの、当たり前でしょ」という指導はもうできない。
すると、教師は正解がわからなくなって、指導の方向に迷う。
迷うのは悪いことじゃない。

きっと「正解」があると考えるのが間違いだ。

みんな同じ「正解」を求めるのが思考の悪い癖なのかもしれない。

日本の教師はこれから「自分はこう思う」で指導することになる。
判断の責任は自分に求める。
日々迷ってもいい。
ただし、指導する時は迷ってはいけない。
自分を信じる。
自分1人分の、その覚悟が必要になったんだと思う。

2025年の頭に、元広島県教育長の平川理恵さんのお話を伺う機会があり、
「自分がどうすべきか」という覚悟の大切さを感じさせられた。

誰かが決めた「正解」をもとに、「当たり前でしょ」と指導する方がずっと楽だ。
でも、そうじゃない。

どんな未来を、どんな日本を創りたいのか。
そのための「自分はこう思う」を持って子どもと接することができるか。
それが今後、教師が子どもたちの前に立つための資格なのかもしれない。
一人ひとりの教師が自分の覚悟を問われる。
その上で、同僚と、時代と、子どもと、擦り合わせ続け磨き続ける。

映画を観て半月、そんなことを考えた。

##小学校それは小さな社会
##遊ぶと学ぶを類義語に


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