最後のマスカラ[ショートショート]
「最後は、マラカスっと。」と、言いながらホワイトボードに書きだす。
「はっははは!」と、生徒たちが突然、大声で笑い出すものだから、肩がビクッっと、上がった。
また、私の見てない隙を見計らって、誰かが悪さでもしているのかと思うと、「ハァ〜。」と深いため息が出る。
ゆっくり振り返ると、
「先生〜。マスカラじゃなくて、マラカスでーす!」
クラス1のお調子者の高橋が黒板を指さしながら笑っている。
「え?あ、本当だ。ごめーん。」
黒板にずらりと並んだ打楽器名の最後に書いた、『マスカラ』を消し、『マ、ラ、カ、ス』と書き直しても、背後から、まだ「クスクス」と笑う声が聞こえてくる。
「さすが、シジミ。シジミはマスカラ無いと死ぬでしょ?笑える〜。」と、女子達のヒソヒソ声が聞こえてくる。
こんなの、日常茶飯事の出来事だし、20歳も年下の子供達の言うことなんて、気にしてなんていられないけれど、やっぱり気になる。
気にしていないフリしてるけど、めちゃくちゃ気にしている。
学校で働いている以上、派手な化粧は出来ない。
だからこそ、ナチュラルなのに、目を大きく見せるメイクは、調べ尽くしているし、どんなに仕事が忙しかろうと、メイクの練習時間は惜しまない。
生徒達の噂話が盛り上がるほど、私の美容オタク度も爆あがりしてるなんて事は秘密にしておきたい。
そんな美容オタクの私が、待ちに待った、『まつ毛が2倍の長さになって、目が1.5倍の大きさに見える』という、SNSで既に盛り上がりを見せているマスカラの発売日の今日ぐらいは、マスカラの事だけ考えたっていいじゃない。こんな大事な日でも、当たり前に仕事してる私を褒めて欲しいぐらいなんだから。
放課後の仕事なんて、手に付く訳も無く、さっさと今日するべき最小限だけをやり切ると、ドラッグストアまで走る。全速力で走る。っていうのは、気持ちだけ。
万が一、生徒や生徒の親に見られる事を考えて、『私は、普段から歩くのが早いんです風』に、涼しい顔で競歩選手並みの速さで風を切って進む。
「絶対、手に入れてやる!」っと、意気込んで自動ドアを潜り抜けると、
「あ!あった!しかも、最後の一個。」
手を伸ばした、その瞬間。
スローモーションのように、ゆっくりと横から手が伸びてくる。
「あっ、すいません。どうぞ。」と、中腰に屈んだ体勢の私の視界に入ってきたのは、うちの制服のスカート。
「うわっ。最悪。」と頭をよぎりながらも、顔をあげると、3年生の山下さんだった。
『県で一、二を争う、あの偏差値の高い高校にも、山下だったら、射程圏内だ。』と、学年主任の先生がウホウホと言っていたのを思い出した。
それに彼女は、バレー部の部長で、ずっと、ショートカットのボーイッシュな女の子。
メイクになんて興味がありませんって感じだった彼女が、マスカラを買いに来るなんて、すごく意外で、悩みを共感できる同類ができた気分で嬉かった。
「あ、佐藤先生。これ、先生が買って下さい。私は、いいです。」
「え、なんで?山下さんが買っていいんだよ。」っと、マスカラを商品棚から取って手渡した。
「でも、やっぱり、いらないです。学校はメイク禁止だし。
私、腫れぼったい一重で、
マスカラ塗ったところで何も変わらないだろうし。
もう、いいんです。
もし、見た目が変わったら、
自分に自信が持てそうって思った私が馬鹿でした。」と、
マスカラを私の手にギューッと押し込んで走り去っていってしまった。
戦利品のマスカラを買えてウキウキ気分で帰宅するはずが、山下さんの言葉が引っかかって心が晴れなかった。
自信につながることを生徒達から奪う校則ってどうなんだろうか?
メイクしたり、ファッションを楽しんだり、見た目を変えることって、多少なのかもしれないけど、確実に自信につながる事を私は知っている。
私だって、もっと美人だったら「シジミ」なんて、影のニックネームがなくて、もっと穏やかな気持ちで生徒と接する事ができるはずだろうし。
でも、校則が無いと学校の風紀はきっと乱れる。それに、学校を安心、安全の場所で保つ為だったり、生徒達の平等性を保つ為にも必要なんだろうな。
でも、ルールを守れる社会人の一人になる事が、自信を見出そうと努力すことよりも大事な事なのかな?
私は、彼女達が少しでも自分に自信を持って、学校生活を楽しく過ごせられるのであれば、校則なんて守らなくたっていい気もするんだけど。
こんな事言ったら教員、失格だ。
だけど、やっぱり、私は、生徒達の自信につながる事は、校則違反であろうとも背中を押してあげたい!
次の日の朝、教室に入ろうとする山下さんを捕まえて、人目につかない廊下に連れ出すと、急いで昨日のマスカラをバックから取り出して、彼女の手を掴み、ポンと乗っけた。
「これ、受け取って!でも、みんなには内緒ね!」と、小声で伝えると、戸惑う彼女をそのまま、そこへ置き去りにした。
「これが、最後のマスカラになりませんように!一緒にメイク楽しもう♪」ってメッセージと一緒に。
おわり
*この作品は、たらはかにさんの企画に参加中です。
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