インド古典音楽の創生と宗教
インド古典音楽の現在と特徴
インド音楽というと、どことなく懐かしいような、それでいて初めて聞くようなシタールの音や様々な楽器を使ったドローン音、内面に没入するような優しく静かで神秘的な音が特徴です。
まるで自己の内面をより深く深く潜るような、、
現代でいうとビートルズ、詳細にはジョージ・ハリスンのシタールの師匠でありジャズシンガーのノラ・ジョーンズのお父さんのラヴィ・シャンカールやジョン・マクラフリンとシャクティをやっていたタブラのザキール・フセインなどインド音楽の達人の名前が挙げられます。
楽器としては琴のようなビーナ、シタール、サロードやサーランギなどと太鼓であるタブラなどが有名です。
また、和音の概念がなく単音で構成された音楽になります。
主にラーガと言われる旋法と(心を彩るものという意味)ターラと言われるリズムの周期(輪廻を表す)を繰り返すことによって音楽が構成され、その様式は主に北インドのヒンドスターニー様式と南インドのカルナータカ様式の二つになります。
大雑把にいうとヒンドスターニー様式は前述のラーガとターラを行うことを重視しているためわりと自由に動きを持つ音楽になりますがカルナータカ様式は声楽を重視しています。
主に歌詞を重視しそこに厳格なきまりがあったり、器楽も声楽の延長です。
またリズムも変化することなく倍速になることはありますがほぼ一定のテンポをキープします。
どちらも即興的な要素はありますが、よく言われるインド古典音楽の即興は北インドのヒンドスターニー様式のものが一般的によく言われます。
これらインドの古典音楽は「梵我一如」ブラフマンと言われる宇宙を支配する原理とアートマンと言われる個人への支配の一体化を達成するための芸術になります。
インド古典音楽と宗教
インド古典音楽は宗教と密接な関係を持っています。
その明記は古いものでバラモン教、ヒンドゥー教の聖典であるヴェーダの中にあります。
ヴェーダは紀元前1500年頃に神への賛歌としたリグ・ヴェーダが口承で伝えられ、残りの3ヴェーダ、詠唱を目的としたサーマ・ヴェーダ、祭礼中心のヤジュル・ヴェーダ、呪法中心のアジュルヴァ・ヴェーダはは紀元前1000年頃にできたとされています。
主にインド古典音楽はその中にあるリグ・ヴェーダで朗唱、サーマ・ヴェーダではアクセントや広い音域と幅広い旋律を扱う郎唱法などが記されていました。
神への賛歌と詠唱です。
またサーマ・ヴェーダは日本では声明にも影響があると言われています。
主に今のヒンドゥー教などの基礎になったバラモン教はこれらのヴェーダを基に誕生しました。
紀元後13年ごろ日本ではいわゆるカースト制と呼んでいますが、インドではヴァルナとジャーティと呼ばれる階級制が誕生しました。
ヴァルナはバラモン(祭祀者) クシャトリア(王侯、軍人)ヴァイシャ(農民、商人)シュードラ(奴隷)に分けられた階級制。
ジャーティはその中での細かい身分制度を表しています(例えばヴァイシャでいうなら農耕を行うジャーティ、商業を行うジャーティなど)
その後このバラモン教は仏教やジャイナ教などへ発展し6世紀ごろに東に流れインドでは衰退し、その後ヒンドゥー教を創設することになります。
ヒンドゥー教の特徴は多神教という点が挙げられます。
ブラフマー(宇宙の創造神) ヴィシュヌ(保護神)シヴァ(破壊と創造の神)の三神を最高神とています。
これら宗教の神の話は、これらは古代インド文明が作り出した2大叙情詩「ラーマヤーナ」「マハーバーラタ」に繋がります。
<各国代表で行われるラーマヤーナフェスティヴァルの様子>
これらは4世紀ごろに完成しました。
マハーバーラタは、ギリシアのホメロスのオデッセイア(有名なのだとトロイの木馬などの話)とイリアス(アキレス腱の大元になったアキレスの話)と並べて世界最古三大叙情詩とされます。
また、マハーバーラタはヨガなどされる方は聞いたことあるかもしれないですがバガバッド・ギータと呼ばれるものも含んでいます。
ヨガつながりで紹介しますがアーユル・ヴェーダは同じ時期にできたヴェーダでそちらは医学のヴェーダになります。
ラーマヤーナ、マハーバーラタに登場する神々、ヴィシュヌ神はリグ・ヴェーダでも太陽神として扱われこの2つの抒情詩でも慈悲の神、宇宙創造の神として出てきますし、インドラ神、クリシュナ神、西遊記における孫悟空の大本になったとされるハヌマーンも有名です。
インドの音楽はこうした神への捧げ物とし、この二つの叙情詩を軸にまず発展しました。
イスラム教との遭遇
8世紀の初め西インドへアラブ軍が侵入し、それがイスラム教徒の接触の始まりでした。
また10世紀にはトルコからイスラム教徒の接触があり、一神教であるイスラムは多神教を認めず偶像崇拝をしないため、像の破壊や寺社の破壊などが行われていました。
そうしたイスラムとの接触や交わりを繰り返し1200年頃にイスラムを軸としたデリー・スルターン朝というイスラムを混在した王朝が誕生することにより徐々に融合が始まりました。
が、その後トルコやアフガニスタンなどから他の部族に攻撃を受けデリー・スルターン朝は崩壊し14世紀後半にムガル帝国が設立されます。
このようにインドはイスラムとヒンドゥーなどの宗教を抱えた多くの部族や民族により構成されていました。
このムガル帝国はインド音楽を語る上で重要で、3代目のアクバル大帝という優れた王様の代に今の音楽の基軸ができます。
またムガル帝国は、このアクバル大帝により150年の時を維持することができ、安定した時期になりました。
この際の流れとしてよく攻め入られていた北インドはイスラム教のスーフィー主義者が多くなり、南インドはもともとヒンドゥー教徒が多くなります。
北のヒンドスターニー様式、南の音楽カルナータカ様式の発生の理由です。
そのアクバル大帝のもとにはミャーン・タンセンという音楽家がいました。
今あるインド古典音楽のガラナと呼ばれる宗派はこのミャーン・タンセンという方が鍵になっています。
次回はこのミャーン・タンセンという人物について書きます。