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公認会計士になって10年─挫折と成長、次の10年に向けて─1/2

こんにちは、公認会計士よしみんです。
2014年11月に合格、12月からBig4監査法人にて働き出して10年ということで年末年始の期間を使って、この10年を振り返ってみようと思います。(なのでタイトルは正確には「公認会計士試験合格から10年」です)


公認会計士試験合格

パソコンにて、ページへアクセス、PDFを開いて、Ctrl + F、受験番号を入力、Enter。。。一致1件。。。。。。。。。。安堵。
って感じでした。安堵。ほっとした。よかった。泣くとか、叫ぶとかでもなく。親への感謝を形として表すことができたことも嬉しかったです。
私の場合、短答式試験がなかなか突破できず、公認会計士試験の苦労=短答式試験の苦労といえる受験生活でした。論文式試験は受ければ受かる謎の自身をずっと持っており、幸いにも自信通り1発合格となりました。

有限監査法人トーマツ入所

社会人として、公認会計士としての幹の私の育ての親はどこか、と問われると間違いなくここです。感謝
2014年12月(正式入社は2月)から4年ほど在籍し、監査業務に勤しみました。

配属ガチャなんて言葉は当時なかったですが、そんなガチャでいうなら私の場合は最もハズレで最も当たりという感じでしょうか。初めての繁忙期は、事務所内随一のパワープレーチームへジョインすることとなります。

出張まみれ、残業まみれ、監査手続まみれ、そのための雑務まみれ、当時でももはや珍しい厳しめなご指導まみれ、といった具合でもまれにもまれまくって最初の繁忙期4-6月を駆け抜けたような気がします。
膨大な作業量を驚異的な速度で正確に、的確に捌いて、内外のコミュニケーションをとり、監査手続を遂行、完遂していく優秀な先輩公認会計士の姿を肌で感じた経験から、追いつけ追い越せの姿勢でもがきました。ここで身をもって体験した正確かつ速いプロフェッショナル価値の提供とその品質の維持スタイルは今後の私のスタイルに大きな影響を与えることとなります。

1歩1歩の積み重ね

トーマツの私のいた部署では、一定程度のクライアントの場合には、特段の事情がない限り原則年次でまとまったチームで年間の監査を行っていき、このチームは一人当たり2つ程度持つことが通常でした。(中小規模の場合には3か月ごとのタイミングでアサイン調整)
上記の最初の繁忙期明け、新チームが発表されるわけですが、ここでは打って変わって、事務所随一の優秀な人材豊富、チーム連携抜群のチームと、少数精鋭であり1年目であろうともそれなりの経験を積むことのできるチームとにアサインされました。

財務会計・監査基準に関する知識の研鑽は当然ですが、それ以外の面でも先輩のクライアントとのコミュニケーションの取り方や仕事の仕方、メールのやり取りなどなどマネできるところは積極的に吸収するように心がけていました
それ以外にも継続的に呼んでいただいた中小規模クライアントでの実務も踏まえ、トライアンドエラーを繰り返しながら自信と経験を着実に積み上げていきました。

そして挫折、成長へ

そんな順風満帆な3年目の途中、私のチームが炎上することとなります。類推できること・詳細は書けませんが、特殊なやつではなく、監査法人に所属する方であればどこかしらで見る炎上のうちの一つです。
この炎上に対してチームメンバー一丸となって年間単位で必死に対応することととなるわけですが、その中で、部署としてのチームメンバーへの対応・仕打ち、私たちへの姿勢、裏の顔、嫌なパターンの根回しをする上層部などなど見ることがなければ幸せでいられたような出来事の多くを経験しました。
若手スタッフの私ですらなかなかのダメージだったので、当時の主任やシニアの方の心中を推し量るだけでも結構つらいですね。

今思えば純粋で無知な若手で政治を知らなかっただけなような気もするかもしれませんが、この1件は私の監査に対する心を折るには十分でした(病んではいません)。忍耐力強い方だと思うんですがね、、こればっかりは突然きますよね。

ただ、これだけは言えることは、数多くの優秀な先輩公認会計士方とめぐり合わせていただいたこと、鍛えていただいたことに大変感謝しています。
この経験も糧とすると決断し途中で投げ出すことはなく、自分の役割は完遂の後、卒業しました。逃げ出さず完遂したのは、自分を褒めたいですね。

監査のその先のキャリアへ

長くなってきたので次の投稿としたいと思います。読んでいただきありがとうございますっ☻

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Yoshimin/公認会計士
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