私のローラースケート物語 第二章
私は自宅に帰って父親に練習場であったことを伝えて、練習生になりたいことを懇願しました。
当時はテレビでもゴールデンタイムにローラーゲームが放映されていた事もあり、また父が格闘技が大好きだったことも有った為、直ぐに承諾を得ることができました。
そして入門の手続も終わり、後楽園の大門堂(現在のシルバーフォックス)と言うローラースケートショップにスケートシューズを買いに行き、ローラーゲーム用の赤いシューズを買って意気揚々と練習場(後のトレーニングスクール) に行った時、ふと思ったのです。
俺はローラースケートを滑ったことがなかった。
そうなんです。
当時大ブームだったローラースケートですが、私は遊び程度しか滑ったことがなかったのです。
案の定、靴を履いて立ち上がった途端にスッテンコロリンと転んでしまいました。
全く滑ることができません。
それはそのはず、子供のローラースケートは、サンダルローラーと言って、靴の上からベルトで締めるタイプのおもちゃのローラースケートで、滑るのもスピードが出ないようにできています。
しかし、ローラーゲーム用のスケート靴は、よく回るベアリングが付いていて、メチャメチャよく滑ります。
初心者は立ち上がるので精一杯、これで滑るなんてと思うと目の前が真っ暗になりました。
しかし、入門をを薦めてくれた森氏(タイガー森)は、初日から鬼のような練習を強要しました。
初日から、いきなり試合用のバンクリンクに乗せられ滑らされました。
ローラーゲーム用のバンクリンクは、直線の平らな場所で傾斜15度、1番傾斜ある場所で45度の傾斜がついています。
45度と言ったら壁です。
よちよち滑っていると、どんどん内側に流されていき、ミンクの内側に落ちていきます。
ゆっくりだと逆クロスと言うテクニックを使わないとまともに滑れません。
スピードがついていれば、逆にまっすぐに進んでいても遠心力でコーナーは曲がっていきます。そして直線でクロススケーティングというのがバンクの滑り方です。
俗に言う5ストロークスケーティングです。
しかし、ここで諦めては、福島県白河藩士の末裔の名が廃ると毎日必死に練習をしました。
そして会員証をチームから発行されたのですが、私の番号は8番でした。
実は10番までは一軍の番号で、20番以降が練習生の番号だったのですが、私が最初の登録練習生だったため、事務局で間違ってしまい、8番と言う番号を私に与えてしまったのです。
この8番と言う番号が、将来、いろいろなトラブルの要因になるとはその時は知る由もありませんでした。
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