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いわゆる金持ち生活をしていた小学校低学年の頃

小学1年生のトキ、アタシは2回転校している。
小1で3つの小学校に在籍したというコトだ。
群馬の小学校で、1学期を過ごし、夏休みに入る頃、なぜか秋田に引っ越すことになり、2学期から秋田の小学校に転校。雪深い秋田での冬休みが終わる頃には、また群馬に戻り、1学期だけ通った学校から数キロ離れた小学校に転校する。

3つの小学校を経験した7歳の頃
↑この記事からの つづきとなります。

☆☆☆

小学校1年生の間で
群馬~秋田~群馬と引っ越しが続き、
1年生の3学期からは、3つ目の小学校に転校することになるのだけど、
それ以来、小学校卒業まで転校をすることはなかった。

ただ、引っ越しは6年生になるまでに
覚えているだけで8回はしているので、
小学校時代は、1年の間に最低1回は引っ越ししていたと思う。
・・・振り返れば、50代の今に至るまで引っ越しだらけの人生だったけど、ある時、「前世のヒトツにジプシーだった頃があるよ」とその筋の人に(←どんな筋?)言われた際には、妙にしっくりきた。


引っ越しと、自営業を営む両親の仕事の拡大と住む家の大きさは
比例した。

小学校2~4年生の頃は、成り上がりの金持ち度が増していく諸々拡大期。
同時に、両親と過ごす時間はほぼなくなっていて、
代わりに、アタシの日常には、お手伝いさんと家庭教師と潤沢なお小遣いと犬が与えられた。

当時の小学校低学年のアタシには、理解できないトコロもあったが、
「今日の新聞の(県内の)長者番付表に松本の親が出てたってよ」とクラスの子に言われて、県内でも裕福な家なんだな、と自分の現在地を認識した。

生活は、派手だったと思う。

車はリンカーンやカマロなど、何台もの外車をとっかえひっかえしていた。
会社には、よく、デパートの外商がきていて、大きなテーブルの上で開かれた宝石箱を開き、母が気に入った指輪などを購入していた。
夏休みや冬休みには、会社の従業員の人がお付きの人としてハワイやタイなどに旅行に行っていた。
おもちゃ屋に行けば、欲しいものは なんでも買ってもらっていて、相変わらず男の子のようなアタシは、いくつものモデルガンやラジコンカーなどを集めていた。
広い敷地のアル家には、いつも友達が遊びに来ていて、男子が来ればラジコンカーを操縦し、女子が来ればキキララハウスやこえだちゃんのおうちを並べておままごと、大勢遊びに来た時には、会社が所有する本格的な野球セット一式を引っぱり出して、野球をしていた。
誰が来ても遊び道具が豊富に揃っている状態だった。
そうそう。誕生日やクリスマスになると、自然に20~30人ほどのトモダチが家に集まって来て、長いテーブルに並べられたケーキやらケンタッキーのパーティーバレルやらをみんなで食べた。

イメージです☆

もちろん、諸々の準備をしてくれるのは、お手伝いさんで、アタシはお手伝いさんをどっぷりと信頼し、毎日べったりお手伝いさんにくっついて歩いていた。

授業参観など、親が参加する行事がもんのすごくイヤだった。
大きなエンジン音で白いカマロが駐車場に入ってくると、児童たちは外に出ていき、取り囲んで眺めていた。教室に入ってくる母は、他の親とはもう完全に異質で、鮮やかなワンピース姿、首には長いスカーフを巻き付けた出で立ちだったりする。そして香水の匂いがキツい。

教室で浮く母をみて、クラスのトモダチは「香水クッセー!」とか、「松本の母ちゃんきた!」と見に来る他クラスの子たちの反応に気づかないフリをしつつ、家に帰ると、アタシは母に
「仮面ライダーじゃないんだから、そういう恰好でくるのやめてよね!学校行事はお手伝いさんに来てもらった方がいい!!」
と懇願するも、知らぬ存ぜぬの母だった。

もう少し、金持ち時代のハナシ、つづく・・・


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