「マグマ・パンチ」
酔っ払いながらカタカタとタイピングを始めてしまう。
でも、もう、良いんだ。明日も仕事だし、もう午前1時を回ってしまった。それでも書きたいものが出来たんだから私はそれを書いてしまう、記してしまう。もう手遅れだけれど動画を撮っておいて良いのならこの執筆情景を録画して残しておけば一種のライブ・ドローイングにできたかも知れない。それも、まぁ、今は一旦どうでも良い。そういうのは何度もやっても面白くないだろうから、せいぜいが死ぬまでに一回やれれば俺はもうそれで良いかなって考えている。
とりあえず本題に入ろう。
一旦、アップもしよう。推敲するか否かは明日以降の私に任せる。
明日の私によろしく! 今はその一事だ、書け! 吉雅!
バンド・アーティスト(と書くのが正しいのかどうかはちょっと一旦さておいて)のソロ・ワークスが好きというお話。……になるのか? 大丈夫か? そのテーマで書こうとして問題ないのか? まぁ、まぁ、一旦それで言ってみよう。
ではバンド・サウンドをカクテルのようなものと例えようじゃないか。
成し遂げたいフレーバーとテイストがあって、その為にベースがあって……持っていきたい方向に原液を整える、あの工程。それはそれで素晴らしい完成品が生まれて今日も皆々様方の舌を楽しませている訳だけれど、それでもそのカクテルを味わい続けていればいつしか「実際、このカクテルの原酒ってどんな味がするんだろうナ」と思う日が来る人が居たって何もおかしくはない。
つまりは私のような人間がそれだ。
畢竟、そうなるとソロ・ワークスはその方ご自身の個人的な音楽性が色濃く出た、いわばストレート・ショットのような味わいで楽しめると私は考えている。考えるに至った訳だ。
バンドという枠を一旦、一旦取っ払った、そのアーティスト自身の持つ音楽性──そんなしゃらくさいもんじゃあないな、その方ご自身がやりたいと思った、残したいと思った音楽がガッと前面に出た……それも1stアルバム。
「ソロ・アーティスト」という枠すらも出来る前の、その人間自身の個性がそのままお出しされたような、そんなアルバムが好きだよ。
そしてそこに来て「チェンソーマン」の藤本タツキの「ファイアパンチ」に想いを巡らせる瞬間がやってきた。
いや、まぁ、これは隣人と話しながら私が勝手にアレコレ考えてしまった内容に過ぎないのだが。
それでも、作家・藤本タツキとしての原液、ストレート・ショットは「ファイアパンチ」に在ると私は考えてしまう。
今読むと正直よくわからないよなあの漫画。
結局主人公はどうしたかったのか? 物語を映画のように表したかったのか、作者の書きたいもの、興味が次々に入れ替わってしまった結果、痕跡がああだったのか? 私にはちょっとよく分からなかった。なんなら「氷の魔女」が現れた瞬間が一番ワクワクしたけれど、思った以上にその方向には話が進まなかった! なんだこれ!? みたいな感想が正直な読後感として在る。
でも、それでも、なんかよくわかんなかったけれど、それでも夢中になって一気読みしちまったなア~~~~!!? みたいな感覚を強く強く覚えている。
例えば私は元X JAPANのhideさんのアルバムの中では熟考の末に「HIDE YOUR FACE」が好きだと言ってしまう。
例えば私はB'zの稲葉浩志さんのアルバムの中では即座に「マグマ」が好きだと言ってしまう。
確かに主旨、コンセプトの上では洗練されているとは言い難いのかも知れないけれど、それでも私はそのソロ・ワークスのドロドロに煮凝った原液のような感性を礼賛したいと感じて、考えてしまうタイプの人間なのだろう。
作品を残すのが作家なのだとしたら、なら、その感性の原初、あなたのあなたの感性の感性の感性の最初の最初の最初の最初の一滴を、ドブッ!!!!! と放出したのが、一番あなたのナカのナマの感性なんじゃあないのか。俺はそれを浴びたい。どうぞ世にお出し下さいませよと感じてしまうから。
だから稲葉浩志さんなら「マグマ」。
hideさんなら「HIDE YOUR FACE」。
HAKUEIさんなら「ANGEL TRIP」。
キリトさんなら「Hameln」。
清春さんなら「Poetry」。
それが良い。
この方がバンドという枠も何も一旦捨てて、自身のご名義で最初に世に発したいと思ったその音楽、感性を、俺は何よりもその方の作品、アートとして愛でていたいと感じているし、きっと今後も感じていたいから。
よし。
酔いも回り切った。そろそろ布団に入る。
明日も仕事なんだ。現在時刻は午前1時26分───。