見事な怪獣映画「ゴジラ-1.0」。手堅さと丁寧さの中に斬新さと心揺さぶるドラマがあったよ。
アマプラさんに来ていたから観たよ「ゴジラ-1.0」
いやぁ。良かった。
純粋に面白かったというか、一言でいえば「見事な」映画だったと思う。
そんな感じで、今回もネタバレも交えて書いてしまうと思うので、今後観る予定のある方でネタバレが苦手という方はこの辺りで引き返しておく方が良いかも知れない。
そうそう、大事な事なんで最初に触れておこう。
監督は山崎貴さんだね。
近年は「STAND BY ME ドラえもん」や「ドラゴンクエスト・ユア・ストーリーズ」、古くはキムタク主演の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」なんかでまぁまぁの酷評を頂く側面もあるんだけれど。
それでも──私は観ていないけれど──「ALLWAYS三丁目の夕日」、「BALLAD 名もなき恋の歌」「永遠の0」とか、最近なら「アルキメデスの大戦」なんかも好評と聞いているので、もしかしたらアタリハズレ、得手不得手がダイレクトに出る監督さんなのかも知れない。
あと私はこの方の初期の作品「ジュブナイル」や特に「Returner.」が大好き。
いや、本当に大好きだな「Returner.」。
金城武、鈴木杏、岸谷五朗に樹木希林だ。
和製「マトリックス」なアクション、絵面に「レオン」……とは少し違うな、それでも成年男性と美少女の硝煙の香り漂うバディモノ……という側面だけで言えば似た空気が感じ取れる。
そもそも私は姉の影響で地味に金城武さんが好きなんだけれど、未だにこの映画の一節は引用する程度には好き。じゃあもう凄い好きなんだな。
「ダーーーグラーーーー‼(絶叫)」
「ソニックムゥバァ‼(巻き舌)」
「ガキ⁉」
「マグネバン⁉」
「───騎兵隊さ」
「もう少しマシな未来が見たくなったんだ」
……などなど。
まぁでも書きながら今回は「ゴジラ-1.0」の記事にしようと思いながらnoteを開いた事を今思い出したので、「Returner.」の事はその内また思い出したタイミングにでも書こうと思うよ。
アルデンテが食べたくなった頃にでもな。
大陸のマンホールのガキより。
はい監督さん……というか「Returner.」から「ゴジラ-1.0」の話に戻すよ。
あらすじ、感想、もうざっくりと書いていこう。
時は太平洋戦争末期。
で、特攻隊員として出発したにも関わらず臆病風に吹かれたため不時着用の島に帰ってくるのが神木隆之介演じる敷島浩一少尉。
別に戦闘機に故障個所はないなぁ~? と詰められながら、敷島は海岸近くを漂う深海魚を目撃する。
どうもこの島の地元住民がいうには、こんな風に深海魚が浅瀬に打ち上げられている夜は「ゴジラ」と呼ばれる恐竜のような怪物が現れるんだとか。
果たしてその夜ゴジラは現れた。
体長は……でも20mくらいなんじゃないかな。
初めて見た時は「モンハンに登場するくらいのサイズだな?」だった。
まぁ、とにかくこのゴジラにたまらず発砲した兵士がいた事からゴジラの大暴れが始まる。
島にいる兵士たちはそうはいっても戦闘機の整備兵ばかりだ。手持ちの銃じゃ相手にならないので、周りの方は敷島に戦闘機に搭載されている機銃で撃つんだというけれど、敷島はまたも臆病風に吹かれたか機銃が撃てず、そのままゴジラに蹂躙されていく兵士たち。
翌朝───。
運良く気絶だけで済んだ敷島と、片足を負傷した整備兵の橘の二人だけ。
「お前が撃たなかったからだぞ! みんな生きたかったんだぞ!」
と橘に叱責されてガン凹みの敷島。
そうこうする内に終戦を迎え、郷里に帰りつく敷島を待っていたのは見事なまでに焼け野原と化した町と、生き残ってしまった、兵士として国のために死ねなかった、逃げてしまったという罪悪感と虚無感を抱えた自分。
戦災でお子さんを亡くしてしまったお隣のおばさんにも結構な嫌味を言われてしまったりもする。
まぁでもこのお隣のおばさん……安藤サクラ演じる澄子さんがまたいい人なんだよ。もう観た奴はみんな大好きになるでしょこの方。
この後すぐに浜辺美波演じる大石典子と、典子に託された血の繋がりのない赤ん坊のアキコちゃんとひょんな事から奇妙な三人暮らしの生活が始まる事になる。
澄子さんは「このままじゃこの子は栄養失調で死んじまうよ」なんてぶっきらぼうに言い放った後、なけなしの白米を敷島と典子に渡す。
もう凄く速い段階でデレてくるよこの方。
「えっめっちゃ良い人やん…………」と観ながら妻と顔を見合わす。
戦災でお子さんを亡くされた事から落ち込んではいたんだろうけれど、元々、芯の強い優しいお人柄なんだろうなぁ、というのがもうこのエピソードだけで強烈に伝わってくる。
そうして敷島は焼け跡の掘っ立て小屋のような状態の家から、日本軍、米軍が共に海に撒いた機雷の除去の仕事をするようになる。
当然、命の危険がある仕事ながら、それでも給料は抜群に良い。
「金さえあればアメリカ産の粉ミルクだって買えるんだ」
という台詞が印象的。まだまだ物も何もかもが不足している時代だろうしね。だからこそ澄子さんのくださったお米が超貴重品という事でもあるんだけれど。
まだこの頃の敷島には「生き残ってしまった命だし」という、自分の命を軽んずる気持ちが強く残っていたんだろうなぁ……と思う。
典子に止められながらもアキコと三人で暮らしていくにはしっかりと稼がなければならないという事で、敷島はこの機雷除去船の新生丸に乗り込む事にする。
果たして新生丸は機銃を積んだだけの木造の古い船であった。
が、まぁ待て。これにはキチンとした理由があるらしい。
除去する機雷は金属を探知して爆発する仕組みだそうなので、金属製の船よりも却って木造船の方が向いている作業だなんだと。
ここでは船長の秋津、海軍時代に兵器開発に携わっていた野田、見習いにして元宇宙海賊ゴーカイブルーのジョー・ギブケンと知り合う。
そう、ジョー・ギブケンだ。
宇宙帝国ザンギャックに反旗を翻し、海賊の汚名を誇りに掲げるゴーカイな奴らこと「海賊戦隊ゴーカイジャー」のゴーカイブルーだ。
命がけだぜ欲しけりゃその手で掴めって感じでこの仕事にも参加したに違いない(特オタ特有の面倒くささ)
途中で気付いた時に思わず「お前……ジョーか?」と漏らした程度には驚いた。あ、少し前だと実写版「東京卍リベンジャーズ」でドラケンくんも演じてたね。まぁドラケンでもジョー・ギブケンでもどっちでも良いんだけれど、とにかく今は水島という役名らしい。
まぁ海賊戦隊ゴーカイジャーの話は今は良いや。
相棒の船の間にカッターを仕込んだ縄を通し、機雷に繋がっている縄を切る。すると機雷は浮力で海上に顔を出すから、そこを機銃で撃って処理する……と書けば簡単な作業に見えて、波間を漂う機雷を揺れる船上から撃つというのは、やはり中々難しいらしい。
が、戦闘機乗りだった頃の経験を活かして敷島はこれを巧みに撃っては除去していき、かくして敷島、典子、アキコの三人はまぁまぁ良い生活を得る事に成功する。
これ、最初はものの見事に掘っ立て小屋だった敷島家が少しずつちゃんとした家になっていく家庭が段階的に描写されていて、そこも良いんだよね。
1945年から始まって、少しずつ時間が経って家や周りが復興していって、最初は赤ちゃんだったアキコちゃんも大きくなってくる。
新生丸の乗組員の皆も呼んで一緒にすき焼きとか食べてたりね。
戦後復興の逞しさや、温かい生活を送りながらも、実は別にまだ入籍している訳でもない敷島と典子の関係性なんかももどかしい。
ええい、そこはお前、あれだ……なんとかせんか……っ アキコちゃんの為でもあるんだぞ……っ と思いながら観ていたんだけれど、思い出したけれどこの映画のタイトルは「ゴジラ-1.0」、怪獣映画なんだよな。
アキコちゃんも成長し、典子はハイカラな洋装になって復興目覚ましい銀座で働く事にした。
因みに敷島も典子もいない間のアキコちゃんはお隣の澄子さんがお世話してくださるそうだ。むちゃくちゃ良い人だな。聖人か?
そんなある日、いつものように機雷除去の仕事をしていたはずの敷島は深海魚が浅瀬に浮かんできている事に気付く。
ゴジラが東京湾上に現れるんだな~!!!
それもビキニ環礁の水爆実験の様子が途中で挟まれるのが憎らしい。元々ゴジラってそういう生き物、怪獣だもんなと。
巡洋艦「高雄」が到着するまでは新生丸で回収した機雷や機銃で足止めして時間を稼ぐのだぞ、という事で(今読み返してもムチャクチャな理不尽ミッションだな……)。
まぁ機銃でペチペチ撃ったり口の中に機雷を放り込んで爆発させたりと必死の抵抗を繰り広げる新生丸の四人。
まぁでもこの時点で水爆POWERで巨大化したゴジラにそんなモンが通用するはずもなく、せっかく来てくれた頼みの綱の高雄もゴジラの熱線で一発でチュドーンと弾け飛ぶ、というか蒸発したっぽい。
「シン・ゴジラ」でもそうだったけれど、今作もゴジラの吐く熱線は凄まじい威力というか、撃つたびに絶対に酷い事になる「絶望の象徴」みたいな扱いなのが良い。
それこそ、ガンダムでいうコロニーレーザーみたいな感じでさ。
撃たれたらまず間違いなく被害甚大、人も建物も一気にドーンと吹っ飛んでしまう、絶望感が伝わってくるのが良い。
かくしてゴジラは東京に上陸。
運の悪すぎる事に典子も働いている銀座にやってくる。
もう銀座はすっかり復興した街という風情で、高層ビルが立ち並び、電車だって元気に走っている。
そんな銀座をもうビルよりも大きくなったゴジラが大暴れする訳だ。
本作のキャッチコピーに倣えば、まさに戦後の「ゼロ」を「マイナス」にするほどの大暴れだ。
ムチャクチャやってくれるよなホントコイツな。
ふざけんじゃねえよどういうつもりなんだよ全くな。
歩くだけ、向きを変えるだけでバチボコに銀座の街が蹂躙されていくし、極めつけは熱線だ。
高雄に向けて放った時は海中からだったから「海がチカチカ光ったかと思えば高雄が蒸発してしまった」という見え方だったが、今回は地上で撃つので尻尾から背中、顔に向かって光が順番に登ってくる……発射までの段階が示される。
「(あー、こんなの撃たれたら大変な事になるんだろうな……)」
というのが否が応でも伝わってくる。
ジェットコースターを昇っていく時の緊張感に似ていたかも知れない。
という訳でせっかく復興を進めていた東京をムチャクチャにしてくれたゴジラを倒すために、日本のみんなが頑張るのが今作のハイライトだ。
高雄が登場したので出るかなぁと思っていたら、作戦を指揮するのは駆逐艦雪風の元艦長の方だったり、四隻使える船の中には駆逐艦響がいたりもする。
因みに日本軍は解体されているし、米軍はソ連との摩擦を気にして軍を動かせない状態なので、対ゴジラの作戦は民間……というか退役軍人、生き残った皆さんが主体となって進められていく。
ここからは割と怒涛の展開で、ゴジラを倒すための作戦を野田さんが立案してくれたり──この作戦名が「海神作戦」というのが良い。
カンタンに言えば物凄い速度でゴジラを沈めて浮かせて水圧の急激な変化でやっつけちまおう、みたいな作戦だ。
海の力を借りるから海神というネーミングには納得感があるね。
そういえば「シン・ゴジラ」の時の対ゴジラ作戦は「ヤシオリ作戦」だったね。
ゴジラを誘き寄せるために敷島が駆る震電(震電!)を整備すべく冒頭の島にいた整備士の橘さんが来てくれたり、アキコちゃんと一緒に家に残ってくれている澄子さんの元に届く電報……と、丁寧だけれど爽快感、納得感が勝つ脚本が続く。
スッとお出ししてスッキリ回収する、テンポの良い複線回収がまた良い。
敷島はこのゴジラとの戦いを通じて、ようやく自分を長らく苛み続けてきた戦争という悪夢と対峙し、それを乗り越える事になる。
死ぬためではなく、生きるためにゴジラと戦う訳だ。
それは作戦に参加した元軍人の皆にとってもきっとそうで、彼らの中での「戦争」と決着をつけるための作戦でもあったんだろう。
そもそもゴジラは戦後の映画で、水爆から生まれた怪獣という設定があったり、戦争や恐怖、絶望感みたいなのの象徴、擬獣化のような存在……と考えると、それと対峙して皆で知恵と力を合わせて退ける……というのはなんとも人間賛歌な作品だなと改めて思わされる。
野田がいう「この作戦で、一人も犠牲者を出さない事を誇りとしたい」という台詞が特に印象的だった。それに対策を立てるために集まった人たちの
「今回の作戦は、絶対に死ぬって訳ではないんだろう?」
「だったら先の戦争より全然マシだぜ!」
みたいなジョークも良かった。なんともブラックなジョークではあるが。
あと作戦が佳境に入ったところでいつものあのゴジラのテーマが流れるところなんかも物凄く良かった。ここでこれを流すか~! って。
まぁ概ねハッピーエンドだよ。
いやハッピーエンドって言っていいのかな? ラストシーンは少し余韻が残る。
手堅く、丁寧に、でも斬新で心揺さぶるものがある。
久しぶりに物凄く面白い、「見事な」映画を観させて貰ったなぁという感想が残った。
良い映画だった。見事なり、「ゴジラ-1.0」。