「君と僕とは別の生き物だから」
「面倒くさい人って思われたくなくって」
という旨の事をいう人に私は以前
「人間なんて大なり小なりみんな”面倒”だよ」
「(だから別に良いぜ)」
「(だからそんな事イチイチ気にすんな)」
「(申し訳なく思うんならもっと強くハグしてくれ。それでチャラだ)」
と返した事がある。
なんか後半は脳味噌の中身だけを書いた気がするけれど、まぁそんな感じだ。面倒じゃない人間なんてガストでご飯運んでくれるネコちゃんマシーンみたいなモンだよ。あのネコちゃんマシーン大好きだけど。可愛いよね。キュー! って顔してくれるところとか好き。
まぁ、ネコちゃんマシーンは今は良いや。
大なり小なり、みんな面倒。
これはもう本当にそうとしか言えないし、普段から機械を相手に仕事をしている身としては、問題に対して一つ一つ切り分けて原因を探れば必ず合理的な結論が出ると信じている機械とは対象的に、人間というのはとかく、面倒くさく出来ている。
問題の根幹(と私が思える部分)に切り込む難易度、試行回数が段違いだ。
だから人間は機械に比べて何倍も面倒くさいし、まぁ、有り体にいえばそこが人間たる由縁なんだろうし、人によってはそこに妙味を見出す方もいらっしゃるんだろう。私はまだそこまで、そうでもないんだけど。
ところで私はだからこそ人間と関わらざるを得ないサービス業はもっと高給取りで良いでしょって思ってるよ。
私が言うところの、一番面倒くさい存在と関わらされ続けるんだから。
まぁ。
人間というのはとかく、面倒くさく、非合理的に出来ている。
前述の妙味なるものを感じられるに至れるのがいつになるのかだなんて、皆目見当もつかない。下手したら一生こないかも知れないし、いや、先の事は分からないから明言はしない事にしておこう。
───が、ここまで人間を面倒くさがっている私だからこそ、恐らくそれでも積極的に接しようと思える人間が少なからず居て、じゃあその動機は? と、あらゆる利害を一旦抜きにして考えると、それはやっぱり情だったり愛だったりするんだろうな。という結論が出た。
前提として誰もが面倒くさいんだから、そんなもんと関わろうとする理由なんて突き詰めればそこに至るんじゃないかなって考えてる。
興味、好奇心、共通項、交歓、仮定、検証、仮定、検証、検証。
「理解」に至れるなんて思っても居ない。
私たちは全員、別人、別の命。
仮に誰が死のうとも、その瞬間に連動して私の心臓が止まる事はない。
「バトル・ロワイアル2」じゃあるまいしな。
故に。脳味噌の中身、思考の共有なんて出来るはずはない。
言葉上で合意が得られたところで、奥底まで視て完璧に理解するだなんて、ましてやそこに同調できるだなんてのは、土台、おこがましい考えだとは思わないか。私は思う。
だから私に出来るのはせいぜい、思考を巡らせて言葉をかわして、そのゼロコンマ何%かの部分で同意を得て……心地よい別個体で在ろうと努力を重ねるだけ。
そんな面倒くさい行動の動機なんて、何があるってんだ。
私にはもう「情」「愛」くらいにしか表せられないよ。
ゼクシィの「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、 私はあなたと結婚したいのです。」というコピーが好きだ。
それと同じように、個体として完結していて、もはや社会的には一人で在ったとして不自由もない存在であろうと思える自分自身が、それでも誰かと関わろうとする理由なんて、それはもうつまりゼクシィが言わんとした”それ”なんだろう。
個であり孤である事を意識すればするほど、意思疎通が奇跡に思える。
私が常々「言わなきゃ伝わらない」と口にしている理由はそこなのだろう。「(美人だー!)」って思った瞬間には「めっちゃ美人だな」って口に出すようにしている、ぐらいの話。
今のは例え話だ。
人間は自身の脳の外までは行けない。だから脳の中身をゼロコンマであろうと出力する、理解して貰おうと、それに対する反応から相手を理解しようと、言葉を選ぶ、尽くす。
私はこう思ってる! きみはどうだ! そうか! OK! 教えてくれてありがとう! サンキュー! 愛してるぜ! ……みたいな感じにね。
そこに在るのは空虚な妄想なのだろうか。
それでも私の好きな物語には「信実とは、決して空虚な妄想などではなかった」と綴られていた。だから私はそれを、それを、───それを今でも信じていたい。まだ信じ続けていたいと、少なくとも今この瞬間は思っている。
幾ら踏みにじられようとも、この非合理的で面倒な存在との関わりを望み続ける限りは。
信実を、空虚な妄想などではなかった事を、死ぬその瞬間までに。
「だ~から言っただろ~?」って笑い飛ばしながら証明したいがために。
次の場所へ you take your way.
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