喪った速さと、代わりに得たもの。
以前の私は本当に、生きるのが、生きるのが、生きるのが。
あんまり上手くない人間だった。という自覚があってだな。
過去形で書いておいてなんだが、まぁ、そこは。
いや、今でも決して上手ではないという自覚もあるんだが。
変な話なんだけれどもね。
ちょっと、色々と───色々とあって、ここ数年は自分の事が、ちょっと、以前より好きじゃなかった時期があったんだ。
で、じゃあ、それまでの自分はどうだったかというと、とにかく生きるのが下手くそだったのは───だからそれは今もそうなんだけれど、とにかく、直情的な人間だったという自覚がある。
以前とかここ数年とか、ちょっと時系列がぐちゃぐちゃな書き方をしてしまっているな。
とりあえず、「自分の事が、ちょっと以前より好きじゃなかった時期」というのは大体2020年末からここしばらく前くらいまでの、約4年弱程度だ。
で、それ以前と言うのが……思い立ったら、目についたら、とにかくまずは行動に出る、というか。
それが大体、……2020年くらいまでの頃だ。
白杖をついた方には「何かお手伝いできる事はありますか?」
車いすの方には「よろしければご案内しましょうか?」
地図を持った方には「どちらに向かわれますか?」
券売機の前の外国の方には「May I help you?」
─────────には、「───────────?」─────────。
等々、等々。
……そんな風に声をかけてしまう程度には、生きるのが下手くそな、直情的な人間だった自覚がある。
それでも、その生き方が、それはそれで嫌いではなかったんだ。
これに関しては明言してても良いかなと思う。
私自身、幼少期は……いや、まぁ、今もなんだけれど……大勢の方に「どないしたん?」と親切にして頂いて、あたたかさを受け取って生きてきたという自覚があっただけに。
であれば、であれば、困った方がいらっしゃったなら、仮に不器用、不格好であろうと、何かできる事はないかと一声かける事をためらわない人間であろうと思いながら生きてきたつもりだったので。
大きな「世」みたいなものに対する、恩返しのつもりだったんじゃないかなと自分では考えている。
ところが、振り返れば本当に大した事のないようなきっかけから、私はそれが物凄く下手になった。
理由に関してはまぁ、本筋から逸れるから今回は書かないけれど。
下手くそな生き方が下手になった、と書くと本当に分かりにくい文章になってしまうんだけれど、下手くそなりに「見知らぬ方であろうと、困った方に対しては親切な人間であろう」という、私なりに積み重ねてきた背骨のようなものの一つが、ぽきり、と折れる出来事があった。
あぁ。だから、きっかけについて少しだけ触れると。
世の中には、困った境遇や、立場の弱い方、弱者、を装って、利益を得ようとする、相手に対して強気に出る、不当な要求に及ぶ人間というのが、残念な事に一定数存在する。
残念な事に、残念ながら。
それはもう、一定数存在してしまうのだから仕方がないし、今あげつらいたい事はそういった方々の是非ではないので一旦考慮から外すのだけれど、とにもかくにも、世の中には「自分の弱者性を最大限に振るって利益を得る人たちが存在する」という事を知ったんだった。
それを知ってしまって。
いや、逆に30中盤になるまで知らずに生きてこられた事がまた途方もないラッキーだとも思う反面。
そうなってしまってからは早いものだった。
私は、人に親切心を出す事に対して、臆病になってしまったんだと思う。
手助けを必要とする人間は、私のそんな心情とは全く関係なく実在し続けていて、そこにはなるべく早く手を伸ばした方が世の中は絶対にあたたかいだろうに、そこにきて私ときたら、さぁ!
そうした方々に対して、手を伸ばすのが遅くなってしまった。
今まで直情的、脊髄反射的に伸ばせていたはずの手が、一瞬、止まる。
「この人は本当に困っているのか?」
「この人も立場の弱さを装って、誰かから不当に利益を得ようとしていないか?」
「あんたはホントに困ってんのか?」
「あんたも困ってるフリして嘘ついてる卑怯者なんじゃないのか?」
「あんたも俺から何かを奪おうとしてるんじゃないのか?」
そんな事を、そんな事すらよぎる時期が、確かにあった。
そこから、当然、自己嫌悪のターンが来る。
苦境にある方に対して、「大丈夫ですか?」「何か手伝える事はありますか?」と聞くのが一瞬遅れる。その、”一瞬”遅れる事に対しての自己嫌悪が、ここ3,4年はずっとあったんだと思う。
本来、今までならノータイムで伸ばせられていたはずの手が一瞬遅れる、逡巡を挟む。
この事こそが、私にとっては何よりも大きなダメージで、喪失で、卑怯な人たちによって奪われた”速さ”だったんだ、と思うたびに、脳の内側がじくじくと痛むような、痛ませながら無理矢理に歯車を回すような、そんな感覚。
「私は嫌な奴になっちまった」
そんな事を、この3,4年はずっと思ってきていた。
ある意味では生きるのが少しだけ上手になったって事なのかも知れない。
けれど、それでも、私自身はあの生きるのが下手くそな自分の事を、どこか誇らしげに思っていたのだろうし、それが喪われた、伸ばす手に一寸の遅れが生じるようになってしまったという自覚を持った時に、ひどい喪失感を感じた事も覚えている。
やられちまった。持ってかれちまった。って。
大勢の人間に優しくして貰って、親切にして貰って、支えて貰って、バカみたいなくらいに恵まれて、幸運に永らえてきた命をもって、何を不誠実な生き方をしているんだ。
という、罪悪感があったんだと思う。
みんなあんなに親切にしてくれてきたっていうのに、お前と来たらどうしてこう、人様に親切にできないんだ。
恩送りの一つもせずに、頂いてばかりでどなたにも送れない、親切、あたたかさの終着点みたいな生き方ばかり送って───、って。
色々な事があって、気付けばもう2024年。
きっかけになってしまった事柄からもう4年も経過して、私は妻と出会って、こうして有難いお話、結婚して、なんか今こうしてタイピングしている後ろですやすやとお休みしてくれている訳なんだけれど。
つい数時間前の事だ。
そんな話をたまさか妻にして、「私はもう、以前よりずっと嫌な人間になってしまったという自覚があるんだ」と伝えたところだった。
妻、一瞬考えてのち曰く
「そうかなぁ。私が見る限りでは、そんな事もないと思うけれど」
これがもう分かりやすく私は狼狽えた。
そのあと、ぼろっと涙が零れた。
歳を取ると涙もろくなるとは聞くが、それがこれなのかも知れない、なんて事をぼんやり思う。
私の一番近く、すぐ隣でこの二年と五ヵ月ほどか。
一緒に過ごして見てくれている妻が、そんな風に言ってくれているんなら、それは恐らく、自分の主観の次に信用しても良い事だと思うし、別の生き物の視点としては一番私の事をよく見ている──信頼に足る妻が、私をそう評している。
そんな風に思った瞬間に、ぼろり、ぼろり。
自分でも意図し得なかった大粒が、頬から顎へ垂れて、ぼとり。
「なんかこの前も、道に迷ってたお婆さんをホテルまで案内してなかったっけ?」
「一緒に歩いててもフラッと行って結構やってるよ?
私はそれ『おー、またやってる』って思いながら見てるけど」
「吉雅さんがいう『出来てた頃』がどのくらいだったのかは分からないけれど、私が見てる限りでは結構やってるように見えるけどなぁ……」
いやこの人、私の事見過ぎでは…………?
そんな事を考えながらのそり、と妻の膝に自分の顎を乗せる。
頭を撫でられながら、「(なるほど、これは敵わないな)」と、何度目か数え切れなくなってきた確信が頭をよぎる。
私の人間性、あたたかさみたいなものは、これで随分と喪われたものだとばかり思っていて、今ここに居るのは、斜に構えた嫌なやつ。
世間知らずのくそがきが、ようやく世の悪意害意を知ってしまって、極端に反転した、嫌な嫌な、嫌なやつ。
そんな風に考えながら生きてしまっていたんだと思う。
「嫌なやつとは、私は結婚なんてしないよ」
ぽつりと妻が漏らした。
ありがとう。
私が世界で一番信頼する人がそんな風に言ってくれるんなら、じゃあ、もう、信じるしかないじゃない。
出来ていたんだ、私は。と。
「出来なくなっていた」と思い込んでいた事だって、いつの間にか出来るようになってきていたんだ、と。
信じさせてくれてありがとう。
肯定させてくれてありがとう。
そんな事を思った。
私はいつもいつも、「人生は喪うばかりではなかった」と、願うように考えている。ある一定の期間、年数を経て得てきたものを、それ以降は擦り減らすばかりの人生……では、決してないと信じていたいと願い続けてきた半生だった。
であれば人生がつまらなく、寂しくなるばかりじゃない。
だったらさ、と。
だったら、私が享けてきた大勢の人のあたたかさが何も残らないじゃない、と。
人生は喪うばかりではなかった。
その考えを、少しずつ肯定できるようになってこれた。
自分が信じて思い描く正しさに、胸を張って前を向いて誠実に生きる事に対して、何か求めたつもりでもないけれど。
それでも心のどこかを報いて貰える瞬間があるんだとしたら、それは今日みたいな日だったのかも知れないなって思える。
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
*
後日の、追記。
これは書いた当日に「酒の入ってる時に書いた文章は、繊細な内容であればあるほど寝かせてから投稿するか決めた方が良い」という自分用のルールに則って一週間ほど寝かせていたんだけれど。
その間に起こった事を、少し。
妻と電車で出かけていた日の帰り道、ホームに一つ、スーツケースがあった。
私はどなたかの忘れ物か? 近くで人事不省でも起こっているのか? 駅でだぞ? であればまずは駅員さんにお伝えするべきか───。
──そんな事を考えながら、妻の手を引いて階段を降りる。
降りた先には蹲った方と、何か言い合いをしている外国人とおぼしき方。
一瞬、伸ばそうとした手を止めて考える。
……以前だったら、一人だったら、さっきの考えを実行したと思うんだけれど。
今はそうではないし、恐らく言葉も通じないだろうしなぁ……という事で、その場を去る。
振り返るとこの”一瞬”踏みとどまった事が結果的に妻を余計な揉め事に巻き込む芽を摘んだのか、と、駅からの帰り道に考えながら
「遅くなったのも、何も悪い事ばっかりじゃー、ないかぁ」
そんな事を言いながらケラケラと笑ってやった。