子育てにおける「家庭」というプラットフォーム機能について

受験を何度も経験すると、より家庭生活の安定が大切だと感じます。

なかには、家族から離れるために志望校に受かるべく努力されるという話も聞くのですが、親の立場から考えるプラットフォームとしての家庭のあり方をちょっと考えてみました。
簡単に言えば、できる子どもたちの背景には最強のプラットフォームが構築されているということ。
親、兄弟はもちろん近親者からの支援もあります。彼、彼女たちのビッグファンが控えているということです。

少し前の日本のスタイルだと、思春期を過ぎて家族と仲良く過ごすのは過保護だ、親離れ子離れしていない、といったイメージが強かったように思います。
わたしは、アメリカに高校留学した時に、それぞれの家族がつながりをとても大切にしていることに驚きました。サンクスギビング、高校の卒業式には祖父母、叔父叔母も泊りがけで駆け付け、クリスマスも親戚一同にプレゼントを用意するのでコストも時間もかかります。
でも、それが目的で生きているので、当たり前のことだし、それらがよろこびなのです。

高校生のちょっとうがった考えを持つ私は、この人たちどこまで本気なんだろう、、って思っていました。
それでも一緒に過ごしていくうちに、移民としてアメリカにきて、なんのバックボーンもなく信じられるのは家族だけみたいなところでやってきた人たちなのだな、家族の縁を大切にしてるんだなということが分かってきました。日本人みたいにゆるい連帯感、ぬるい安心感みたいな中で生きているわけではないので、家族の連帯は生きる術なのだろう、と実感しました。

核家族化が進んだ結果、私たちは家族の連帯という生きる術を捨て、茨の道を選んでしまったように思います。長男を頭に構成するといった旧態の家族の連帯も機能しなくなっている。
もう一度、家族をプラットフォームとして捉えることで、その機能を再度活性化させてあげることができるのではないか。
ゆるい家族という連帯が、つらいこともありますが各々規律をもって、家族というプラットフォームを活用することができれば、よりよい人材育成ができる場となると思うのです。

ステートメントのないゆるい連帯感、ぬるい安心感は好きではありません。
意思を持った連帯、それに裏打ちされた安心感が必要だと思います。

わたしは、子どもたちの重要なステージで家族というプラットフォームの見直しをすることが多いです。
受験、進学、転職、転勤、その他ビッグイベントなど
その時の家族の状態、人間関係(少ない人数でもコミュニケーションの不足 などを確認)これらをチェック、改善することでヒマラヤのアタックも可能になると考えています。


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