自分の気持ちを100%わかってもらえない代わりに、相手の気持ちを100%わかってあげる事も出来ない。
うっかりタイトルで書いてしまったのですが
常々私はそう思って生きています。
『私の気持ちをわかって欲しい!!!』って昔の私はそればっかり思っていました。
満足のいく対応を得られなかった場合なんて最悪で、
『なんでわかってくれないの?』の連続。
自分の感受性を根拠もなく特別視しているくせに
人と過剰に溶け合おうとするなんて、迷惑な話ですよね。やれやれ。
年齢を重ねるのっていいなぁ~♪と素直に思えるのは
自分の精神面が整ったり落ち着いたりしてきて、自分自身にとても安らぎを感じるから。
若いころは良いも悪いも全ての感情がいつも内側で大洪水を起こしていて、
それに飲み込まれない様に精神をキープすることに日々神経を使っていたもんで。
過去のそんなある日。
いつもにこやかで穏やかな大好きな友達が取り乱して泣き崩れている場面に遭遇した。
びっくりした。完全に緊急事態だと察知した。
体はとっさに動いて駆け寄って友達の肩を抱き寄せたものの、
どう対応したらいいのかわからず、ひたすらに『大丈夫、大丈夫、大丈夫…』って肩をさすりながら唱える事しかできなかった。
数十分経って少し落ち着いた友達が少しづつ何が起きたのか話してくれた。
とても重たくて苦しい内容だった。
私はその友達の事をとても尊敬していたし大好きだったので、
少しでもその悲しみを貰うことができないかと思って
友達の話を吸い込むように聞いて、全想像力を駆使して私も擬似体験してみたけど、それでも全然その子の苦しみや悲しみには追い付かなくて。
大切な人の苦しみを貰いきれなくてとても辛かった。
この時に味わった歯がゆさで、私は何かを理解したらしい。
それからは相変わらず自己主張や我は強いものの
自分の事を人にわかってもらえなくても
癇癪を起こすような自分は居なくなった。
むしろ私の話に一時耳を向けてくれただけでもありがたく思えるようになったし、万が一、共感してもらえた本当に嬉しく思う。
タイトルに戻りますが
【自分の気持ちを100%わかってもらえない代わりに、
相手の気持ちを100%わかってあげる事も出来ない。】なんていうと
たま~に人から「ドライですね」なんて言われるのだけど
そこの君、全然ちがうぜ。
完全には溶け合えない。誰とも。どんなに大好きな人とも。
でも、それは孤独を強調するものじゃなくて
悲しきかな圧倒的に溶け合えない歯がゆさがあるからこそ
人に対して思いやりを持てたり、ずっと寄り添えたりするんだと思う。
溶け合えない。
だからこそ自分の強さを信じる事になるし
だからこそ他人に魅力にクラクラするのだと思う。
なんて。
これすらも共感ゼロでも全然オッケー◎
最後まで読んでくれた人、ありがとう(^^)♪