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【Overseas-11】ジェノサイドの完成としての復興

今、トランプ政権の閣僚指名承認公聴会、数百にのぼる大統領令、関税、不法移民の大量強制送還等々で、第二期トランプ政権まわりのニュースで毎日騒がしい。いずれ、それらについても書こうと思っているが、その前に忘れられないように書いておきたいことが一つある。パレスチナ人をヨルダンとエジプトに動かすというトランプの提案についてだ。他のすべての話題は、アメリカの問題だが、これだけは違う。トランプは気が付いていないかもしれないが、これは人類全体の問題だ。最悪の事態が起きるかもしれない。


I. 戦争忌避という性癖


アメリカのメディアを見ていると気づくことなのだけど、ドナルド・トランプは戦争を忌避する傾向があるとよく言われる。政治思想として戦争反対という意味ではなく、戦争に対するメンタルなブロックがあるのではないかという意味で。それの延長として、人を殺すことに対する無意識の忌避があるのではないかという説にもなる。

これは妙な話に聞こえる。人を殺すことに対する心理的抵抗があるのは(倫理的抵抗ではなくても)、一般的だろう。しかし、誰もが知っているように、トランプの「強さ」に対する異様なこだわりはあらゆる言説に溢れている。彼のスピーチを聞いていると、「勝つ」とか「一番である」とかいうことが至上の価値であるようなのだ。そこに彼の過剰なナルシスト性向を指摘する人は多い。

「勝つ」とか「強さ」に執着する人は日本人でもいくらでもいるし、とりわけアメリカ人には集合体として、そのような「オラが一番」心理が強く根付いていることは、アメリカの世間に少しでも馴染みのある人なら直ぐに気がつくことだ。

例えば、バイデンは若い議員の頃から血の気が多くて、鉄砲玉のような威勢が売りであった。昭和の日本のハマコーのようなものかもしれない。オバマがバイデンを副大統領の席に置いていたのも、彼によってオバマ自身にはない、アメリカ国民受けする「強さ」を補完した側面がある。そして、バイデンは、大統領になって、ウクライナ人の命を平気で無駄にし、ガザでは史上稀にみる大虐殺をやってのけた。あの若い頃のバイデンの血の気の多さはジェスチャーではなく、ほんものだったのだ。ただし、バイデンの弁解をするわけではないが、「アメリカが一番」という無邪気な国民的集合メンタリティに刺さらないようでは、そもそもアメリカの大統領にはなれない。

トランプが妙なのは、あれだけイケイケの強気発言でなんでもかんでも対決するようでいながら、人の殺し合いになると、スーッとそれを忌避する方向に向かっていくことなのだ。まるで全身刺青まみれの半グレが威勢のよいことを叫んでいながら、血を見ると失神してしまうという、あのタイプのようだ。

II. アメリカ大統領の戦争

アメリカの大統領は、戦争をし続けることによって、その地位を安定させてきた。第二次世界大戦後のアメリカが関わった戦争を大統領別に見てみると、以下のように、トランプが戦争忌避癖があるというのは、それほど大袈裟な話ではないように見える。

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