見出し画像

世界でただ1人の『ビジョンアーティスト』原 克之さん

〜原 克之さんプロフィール〜
ビジョンアートメソッド®代表/世界でただ1人のビジョンアーティスト

1960年生まれ。
物心がついた頃より絵を描く。レオナルド・ダ・ヴィンチに影響を受ける。
16歳、父の他界を契機に【何のために生きているのか?】と「生き方」に強い関心を持ち、哲学をはじめ生き方に関する書物を数々読破。
一念発起し 、【自分の本当にやりたいことは何か】を徹底的に探求するために100ページに及ぶ、自分自身の「人生企画書」を作成。
1999年、自己の『本当にやりたいこと(ビジョン・価値観)』の発見及び夢実現のための個人セッションプログラム「ビジョンアートメソッド®」を企画開発・創業。
2018年、30年間ひとりで親の在宅介護を行い自宅で平穏死を看取った経験から、つらさを抱えている方々のために3つの新コースを発表。
現在まで200名以上の夢実現のサポーターとして東奔西走している。

2008年11月:e-Book新着ランキング第1位!
10年目の感謝の気持ちとして書いた『【与え好き】の法則 』
2009年3月:第3回e-Book大賞優秀賞を受賞!

記者:現在はビジョンアーティストとしてご活躍とのことですが、今、お持ちの夢はなんでしょうか?

原 克之さん(以下原、敬称略):20年以上前から変わることなく持ち続けている夢は、「希望が持てる世界の実現」です。そのためには一人一人が本当にやりたいことを発見し、できることなら仕事としてやれる、「【本当にやりたいこと】で生活ができる人」を増やしたいですね。そのような一人一人が増えることで、希望が持てる社会、幸せが実感できる社会が現実になると思うのです。日々幸せを感じられて、心の底から“生きててよかった”と思える人を増やしたい。現状のクライアントは日本の方がほとんどですが、今後は世界にも広げて、世界中が希望で溢れるようにしたいですね。

記者:希望が持てる世界は素敵ですね。では、その夢やビジョンを現実化するための計画があればお聞かせください。

原:その夢の実現のために、今の仕事に取り組んでいます。「このままでは終わりたくない」と思っている方の【ビジョンを明確化】し【最幸の未来像】をアートで見える化し、夢の実現に向かって行動を起こすことで「生きていて良かったという実感」が得られます。
具体的には、まずクライアントさんお一人お一人に、時間をかけてビジョンカウンセリングをさせて頂きます。そこで【本当にやりたいこと】やビジョンを明確にし、コンピュータ・グラフィックスでアートとしてビジュアル化します。その「ビジョンアート®」を毎日みることでイメージがより強まっていくのです。その次は、ビジョンを実現するための具体的な行動のサポートです。行動しなければ何も実現しませんからね。ですから、

①ビジョンの明確化
②ビジョンのリアルなアート化
③具体的なアクションサポート
という3本柱をたてて、気づけば20年間やってきました。

また近年は「ビジョンカフェ」というラジオ番組のパーソナリティーとしても同様の活動に取り組んでいます。

記者:ビジョンアート®とは、とても独創的な取り組みですね。拝見することはできますか?

原:はい、もちろんです。ビジョンアート®には企業版と個人版がありますが、今日は私がラジオのパーソナリティーを務める「ゆめのたね」さんの企業版をご紹介しましょう。

ビジョンアート

上側が精神的なものを表し、下側は実現したときのビジュアルイメージです。経営の5本柱を創りたいとのことでしたので、背景にパルテノン神殿を経営柱の象徴として表しました。また女神が守っているのは水晶でゴールの象徴、それをサポートしているのが天使です。面白いのが下部分の「たこ焼き屋」さんです(笑)。将来的には放送局にとどまらず、それ以外の事業展開もしたいとのことで、具体的に「たこ焼き屋」さんが挙がりました。また、ゆめのたね放送局の経営理念である「ご縁・応援・貢献」を中心に据えて「夢は実現すること」を表現しました。さらに、個性豊かでユニークなパーソナリティーのそれぞれの舞台をつくってあげたいというビジョンもお持ちでしたので、農業、演奏、カメラ、宇宙のイメージなど多種多様な夢の実現イメージも散りばめて、なるべくリアルになるよう表現しています。

ビジョンカウンセリングは私が発案したオリジナルのものですが、これをやっていく中で、多くの方に共通することがあります。それは「やりたいことは何となくはわかっている。だけどはっきりしない」ということです。
なぜだと思いますか?
これは、親や周りの人が大きく影響しています。例えば、「そんなんで生活できるの?」「それやって何になるの?」「そんな夢みたいな…。」と散々いわれたらどうでしょう?結果的に、「そうなのか…」と自らやりたいことに蓋をしてしまうのですね。

私自身も親から言われました。「絵ばっかり描いて何になるんだ」とかね。幸いなことに私の絵自体は認めてくれていたので、それは有り難かったですけど、でも「それでは生活できない」と言われていましたし、自分でも「そうだな」と思っていました。そんな蓋をカウンセリングを通してほどいてあげたいなと。

記者:20年間の継続は頭が下がりますね。日々の実践において外せない軸や大事にしていることがあれば教えてください。

原:「諦めない」ということ。これが一番ですね。どうしても上手くいくクライアントと、上手くいかないクライアントが生まれるのですよ。そこでその理由を分析したところ、上手くいく方は、例え困難や失敗があってもへこたれず、起き上がるのです。何度でも。でも上手くいかない方は途中でやめてしまう方がほとんどです。

私自身は若いころ「火の玉」と呼ばれたことがあります。とにかく諦めずにトコトン追求探求するのです。例えば、レオナルド・ダヴィンチが描いた人体解剖図があるのですけど、筋肉の付き方や骨の構造などを勉強している・していないでは、人物の絵が全く違います。ですから、絵をやるのならあの域まで上手くならなければ、描けなければダメだ!と思い、200~300ページある本を模写しようと決意しました。でも途中で面倒になったり、でも5分だけでも…とやってみたり、何度も挫折しながら、「でもやっぱり描きたい!」を繰り返しながら、結局トータルで16年かけて描きあげました。諦めずにやりきった達成感は本当に嬉しかったですね。

記者:そこまで「絵」を描くことにこだわる背景には何があったのでしょうか?

原:私が16歳の時、父が40代半ばの若さで他界し、その死をきっかけに「人間は何のために生きるのか?」と疑問を抱きました。そこで哲学書や思想書、精神世界や宗教などの類を読み漁りましたが、ほしい答えはなかなか得られません。そんなあるときヨガの考え方に出会い、ヨガの師を探していたとき、故中村天風氏との出会いに恵まれました。この出会いによって、「人類全体の生き方に関しての答え」はようやく得られました。ですが、「自分自身は、個人としては、いったいどう生きたらいいのか?」その答えはわからなかったのです。

もうひとつ語るべきことは、今から30年前に母が脳梗塞で倒れたことです。私が独身であるため、母を看るしかないと決め、男一人で介護をしました。最初は軽かった母の症状も半身不随になり、さらに全身が動かなくなり、終いには視力も失いました。24時間介護が10年間続き、外出もままなりません。当時の私は弱い人間でした。その自分を立て直したい、そして自分の使命、生き方とは何かを探求したい思いから「自分の人生の企画書」を書き始めたのです。いろんな仕事を経験しましたが、「自分は一体何がしたいのか?」「本当にやりたいことは何か?」を見つける作業を、心理学を中心に毎日コツコツ自己分析してみました。
あるとき、書いたものを印刷したら、A3用紙で100ページにもなって、それをみたとき、ついに「自分のやりたいこと」を発見したのです。そしてこの体験は、多くの方に役に立つだろう!と気づき、仕事として始める決意をしました。

記者:凄いですね!一体何を発見されたのですか?

原:それが私の場合は「絵」だったのです。「やはり」という感じです。そして、先ほど話した夢と絵を掛け合わせた仕事は、世の中にはありませんでした。ですから自分で創るようになったのです。

記者:「絵」を描くことが発見だったのですね。しかも仕事として「発明」までされて、まさに唯一無二のオリジナルですね。その発見させる背景には、さらに何があったのでしょうか?

原:思えば小さいころから自然に絵を描いていました。2~3歳で鉛筆を持ち、物心ついてから、絵ばかり描いていましたし、絵を描いているときが一番幸せでした。

意識して描きだしたきっかけは、2人の絵があります。
ひとりは、幼稚園頃にみたイラストレーター生賴範義師の絵です。ある雑誌の表紙や挿絵だったのですが、あまりにリアルな表現で日本人離れした上手さに衝撃を受け「こんな絵が描きたい!」と思ったのです。

もうひとりは、レオナルド・ダヴィンチです。12歳の頃、BBCが製作した「レオナルド・ダヴィンチの生涯」という5夜連続番組をみて、衝撃を受けました。こんな凄い人がいたのかと。そして「こんな絵が描きたい!」と強く思いました。驚いたのは、「これほどまでに人間の可能性を広げられるのか」ということです。ダヴィンチは万能の天才でした。画家でありながら、独学で医学や解剖学、哲学や博物学も学んでいます。40代くらいで数学を学び、絵画と結びつけるようになりました。戦車などの軍事的発明や、我々が普通に乗っている自転車を発明したのもダヴィンチなのです。

記者:ダヴィンチのような発明やアイデアによって新しいものを生み出し、可能性を活かすことがお好きなのですね!

原:はい、好きですね。すでに誰かがやっていることは嫌です(笑)。

記者:そういう意味では実際、今は幸せや希望を感じる社会ではないと思いますが、それを現実化する発明というか、チャレンジや生み出したい思いがあるのですか?

原:そうですね。でもひとことに「社会」と言っても一人一人、各個人の集積です。ですから一人一人が社会に埋没せず、出来る限り自分の夢を明確にして、その夢に向かえる人を増やしたい。それで社会に希望が持てるようにしたいと考えて行動しています。

記者:最後に読者へメッセージを一言お願いします。

原:私の好きな言葉に「人の喜びが自分の喜びとする」というものがあります。この言葉が現実になるには、一人一人がやりたいことを押し殺すことなく、自由にアウトプットできることが大切と考えます。さらにそのやりたいことが「人の役に立つもの」であれば社会との接点が持てます。私はそういう人を増やしていきたいし、そのお役に立てればと思っています。

---------------------------------------------------------------------

原 克之さんの詳細はこちらから!!
↓↓↓
ビジョンアートメソッド®公式サイト
https://visionartmethod.com/

画像1

【編集後期】
インタビューの記事を担当した、山口、八島です。
原さんのお話から、小さい頃から「絵」に対して、また生死に対して、追求、探求されてきたことが、すべて今のお仕事に繋がっていて、オリジナルのビジョンアートメソッドを発明されるまでに至っていたことが、よくわかりました。「諦めないこと」を日々実践されているとおっしゃっていた事が、とても印象的でした。

楽しくお話を伺わせて頂き、ありがとうございました!
これから益々のご活躍、応援していきます。

---------------------------------------------------------

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。

https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36