自己紹介 よしこさんはこんな人
あらためまして ”よしこさん” と申します。
現在49歳と9ヶ月(投稿時) 名古屋近郊で生活しています。(2021/7/27時点で50歳と6ヶ月)
2019年7月にTwitterを開始し、プロフにも載せていますが、48年間(2019年時点)本能と感だけで
生きてきました。
あえて”勘”ではなく感性・感情の”感”という文字で表現させていただいております。
おかげで”考える力”というものが
ほぼ無いに等しい ちょっと困った人です💦
以前はそれでも良いと思っていたのですが、
父が病気になり今後の人生を考え直さなければいけなくなった時、
これからの時代”考える力”も必要になるだろうなぁ…と感じたので同年10月に noteも開始しました。
そこには ”私が何者か…” ということはお知らせする事でもないと思っていたのですが、前回の投稿を読んでいただいたTwitterのフォロワー様より
"note書くなら自己紹介しておくとイイよ” と、感想と共に教えて頂いたので、私なりに考えてみました。
確かに私と同じく "ネットは苦手” と思っていらしゃる方に ”この人にできるなら自分にもやれるんじゃない⁈” と思っていただけるように、なぜ”本能と感”だけで ”考える力”が無いのか…お伝えするのもアリかと思ったので、少しだけ人生を振り返ってみることにしました。
ですが、先に一言だけ
薄い人生です💦 暇つぶし程度ですので、その点はご了承ください。m(__)m
目次
生まれた場所〜幼少期
2人の弟
大人になるにつれて
現在(まとめ)
〜生まれた場所〜幼少期〜
私にとって "本能と感" の核となる部分は
この時期にあると思っています。
関西の田舎と呼ばれる地方に産まれました。
両親共に 戦争終了直前に生まれた人たちです。
田舎での生活は、まだまだ絶対男子が優先で
跡取りの嫁は 跡取りを産むのが当たり前。
母は、一度都会へ出て看護師の仕事をしていた人なので、まさか家同士の話で父と結婚し
田舎に戻ることになるとは思ってもいなかったでしょう。
私にとって祖父母は優しかったのですが
母にとっては、考え方の違いや
その地区のしきたりなど
慣れない結婚生活の中で
男の子を産まなければいけないという
プレッシャーを受け
ストレスが溜まりに溜まっていたと思います。
私がお腹にいる時、胃潰瘍ができて
治療するなら子供はあきらめるようにと
診断されたそうです。
ですが、田舎のお嫁さんが自分の身体を優先して子供を諦めることなどできる雰囲気もなく
無理して私を産んでくれました。
現在の医療であれば薬だけで治療できた…かも
しれないですが
軽く50年前のことなので
出産後しばらくしたら胃の全摘手術も
決まっていたようです。
自分の胃を失ってまでも…の覚悟でいざ出産!
逆児に加えて へその緒は首に巻きつき窒息寸前
急遽、帝王切開でようやく産まれたのに
出てきた私は女の子……
母の落胆の声が 聞こえてきそうです💧
長時間の酸欠・首と頭をへその緒で圧迫され
脳障害・発達障害・小児麻痺が疑われて
4歳まで入院、小学低学年まで 通院・検査を
繰り返しました。
実際 一番古い記憶は病院の中の風景なんですよねぇ😅💦
体に異常があるとか無いとか、他人と比較することなど無い生活。
時々会いに来てくれる母は優しいし
同じように入院している友達と遊んで
ただ漠然と毎日が楽しかったのですが…😅
〜2人の弟〜
見た目に大きな障害もなく、無事に退院して
家に戻った時には、4つ年下の弟がいました。
その2年後、6つ年下の弟も出来ました。
そして母の心が私から徐々に離れていくのを
感じるようになります。
弟の頭を撫でては
「エエ形しとるなぁ〜」
と言いながら私の頭を見て不機嫌な顔したり
おむつ交換では笑顔でおち〇〇んを撫でる母。
"なんで私の頭は凸凹なん?"
"なんで私にはおち〇〇ん無いの?"
"どうやったら病院にいた時のように笑ってくれるの?"
弟(特に長男)を溺愛している母になかなか聞ける雰囲気も無かったのですが、抱っこされてる弟が羨ましくて、ある日 つい言葉が出ました。
「お母ちゃん 抱っこして♡」
そこで返ってきた言葉は、想像以上に辛いものでした。
「あんたなんか産まんければ良かった」
「あんたのせいで こんな体になったんや!」
「一緒に居るだけでも"ありがたい"思え !! 」
「ワガママ言うんやったら他所に出すで !!! 」
……完全に思考停止です💧
この後しばらくの記憶はありません。
祖母と一緒にいることが多くなりました。
いつも考えていたのは
"電車に乗ってどこか遠くへ行こうかな…お金ないなぁ…"
"橋の下に基地を作って暮らそうかなぁ…すぐ見つかって連れ戻されて叱られるなぁ…"
"いっそ橋の上から飛び降りちゃえば…死なんへんかったらどうしよう…"
近所の川の橋の上でぼぉーっとしてることが
多かった気がします。
ある日、いつものように学校から帰ってランドセルを置き、橋の上に出かけて川を眺めていると、
6つ下の弟が私を追いかけて走ってきました。
橋の手前には国道があり、車がビュンビュン
通っています。
後ろから祖母も追いかけてくるのですが
国道の向こう側は上り坂になっていて
祖母は弟に追いつけそうもありません。
弟はまだ1〜2才くらいで信号も横断歩道も
わからずに走ってきます。
"赤信号やったらヤバイ💦"
運良く青信号で、事故に合わず済みましたが、
外で遊ぶときは弟(次男)から目を離さないよう
祖母に叱られました。
誰にも必要とされてない…と感じる中で
唯一 弟(次男)だけが私を追いかけてきてくれる
彼がいなければ、今私は生きていないでしょう
追いかけてきてくれた事に感謝しかありません🙏
〜大人になるにつれて〜
小学3年生までは産まれた時の影響なのか
体も大きくならず、弟達と並んでも変わらないくらい小さくて
幼稚園児と間違われることもありました。
担任の先生から特別扱いを受け、同級生には
仲間に入れてもらえず、周りとの違いを自覚するようになりました。
生きる意味とか存在理由とか
なんでもよかった
どうでもよかった
毎日が機械的に過ぎていき、"考える" の意味が
考えられませんでした。
将来の夢……ナニそれ
私に必要なの?
家でも学校でも 誰にも必要とされないお荷物だった私に転機が訪れたのは4年生の春でした。
同じ地区の同級生が、学校で4年生から入れるバレー部に入りたいけど "帰りが遅くなって危ないから" と親に反対されたので一緒に入らないかと誘ってきました。
地区の同級生で他に女の子はいなかったのです😅
バレーボールに興味はありませんでしたが
誘われたことが嬉しくてバレー部に入りたいと思いました。
もちろん母は大反対ですが、父が ”健康になるなら" と、卒業までの3年間 続けることを条件に入部することを快諾してくれました。
弟以外、はじめて誰かに必要とされた嬉しさと
自分の意志でやりたいと始めたことが楽しくて
(もちろん 部内の足手まといですが😅💦)
毎日 練習に参加し、半年後には部内の仲間に
誘われて鼓笛隊にも掛け持ち入部し、
トランペットも始めました。
おかげで体が大きくなり始め、卒業までには
人並みサイズへと成長することが出来ましたが
知能に対する不安は残っていて、中学進学は
養護学校を進められていました。
難しいことはわかりません
あの日以来 思考は止まっています
けれど、養護学校に行くとなったら
バレーボールもトランペットも
できなくなります。
普通の中学に行くことで、この先の不安や
厳しさ・大変さなんかも考えることができませんでしたが、普通の中学に行けば部活は続けられる…
その思いだけで普通校を希望し、
一年だけ様子を見てくれることになりました。
もう必死です。
この一年は死ぬ気で勉強しました。
教科書に書かれてることより、同級生が何を
思っているかとか、どうすれば普通の人に
見られるかなど、普通の人が当たり前に出来ることを出来るようになるためのお勉強です。
大半の人に からかわれて仲間はずれにされたり
担任の先生に無視されたりとありましたが
誰かしら必ず手を差し伸べてくれる先輩や
他の先生がいてくれたおかげで、
そのまま中学〜高校〜短大と一般の生活を送ることが出来ました。
〜現在(まとめ)〜
元々の脳が受けたダメージのレベルが
どの程度のものなのか、調べたことが無いのでわかりませんが、何か物事を考えようとすると母の言葉が浮かんできて辛くなり、
考えることよりも
これまでの経験から自分のやりたいと思ったこと・必要とされることに
本能の赴くまま感情の動く方に、
人生の舵を切ってきました。
その時々で騙そうとする人・陥れようとする人
そして必ず助けてくれる人に出逢い、
本能と感は、わたしにとってより良い道へ進むために研ぎ澄まされてきました。
"Twitter" と "note" も、今の職場の上司が
私のためになるからと勧めてくれました。
この人は本気で良かれと思って言ってくれている👍と、感がささやくから始めたのです😅
この一年
Twitterで流れてくるツィートに共感したり
noteに自分の想いを書いてみたりする中で
ステキな方たちと出会い交流し、
老若男女問わず いろんな方たちの意見や考えを知ることができ たくさん学ばせて頂きました。
そして私自身もツィートや投稿することで
本当は "思考力" がない訳じゃなく、
言葉にすること・文章にすることが下手なだけで
考える力はあるんじゃないかと思うようにもなりました。
まだまだ表現力も弱く、つたない文章ですが
50才手前の "こんなオバちゃん" でも
やれば出来るよって事や 何かを始めるのに
年齢は関係ないよって事など、思ったことを
言葉や文章で伝えていけるよう、
楽しく学び続けたいと思います。
そして、ここまで読んでくださった方の中に
ご自身の身近なところで ”私なんて…" と
楽しむことを諦めてしまっているような方が
いらっしゃれば、考える力が弱いネット初心者でも楽しくやってるオバちゃんも居ることを
伝えてくださると幸いです。
この想いを届けたい方達は、
きっとネットの外側にいらっしゃる
と思うのでm(._.)m
最後までご拝読頂き ありがとうございました。
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