地獄に抗う - 星野源「地獄で何が悪い」について
星野源の「地獄で何が悪い」は、今日本にいる人にとっての現実と、私の認識とがいかにずれているのかを思い知らせてくれる。
最初歌詞を見た時、ディストピアな日本の現実を皮肉って批判する曲なのかと思った。いや、それ以外に曲の意図の可能性が思い浮かばなかった。園子温の映画に使われたこと以前に、そんなディストピアンな曲を紅白で流すなんてNHKは一体どうかしてしまったのではと心配した。
けれどもそれは、須藤元気のWORLD ORDER「LET'S START WW3」に対する私の誤解と同じものだった。あれはトランプを皮肉って批判する曲だと勘違いして評価していたら、後日彼の「トランプさんを応援している」という投稿を見てひっくり返った。
「地獄でなぜ悪い」は、嘘と誤魔化しを重ねてニコニコした地獄でこのまま優しく心中しよう、という発狂した寄り添い方をしている。
それが支えになるというのなら、とりあえずそれでもう一日生きていられるのなら否定できない気もする。この歌に支えられたという多くのコメントを見て、最初は驚いたけれど、日本の内側から見た認識としてはおそらく正解で、人々が必要とするものを与えているのだろう。
でもアーティストなら、現実と非現実の間で、聴く者の地獄を無意識のうちに盲点のように真っ白にして一瞬でも忘れさせて欲しい。少なくとも、私なら同じ方向性で書かないし、私はそれでは全く救われない。
歌詞の一番、二番それぞれの二段目の女性をモノ化した表現も耐え難い。
「痛みから逃げてる あの娘の裸とか 単純な温もりだけを思い出す」
「非道に咲く花が 女のように笑うさまに 手を伸ばした」
女性に対してそんな認識を持つ人に地獄で待っていて欲しくない。地獄が余計に深まるだけだ。
それからふと、中島みゆきの「エレーン」(アルバム「生きていてもいいですか」収録)の方がまだずっとマシだったのではないかと思い、久しぶりに聴き返した。
どちらの地獄も最悪だし、生き地獄にいる人に寄り添うスタイルも同じだけれど、なんて今から見たらシンプルで見通しの良い地獄だったのだろうか。中島みゆきは、まだ「生きていてもいいですか」とストレートに問うことができていたのに、星野源はもはや「同じ地獄で君を待つ」と呼びかけている。
あれから重ねてきた「嘘」の複雑さによって、もう現実世界をまともに見る視座すら揺らいでいる。地獄をそのまま進むしかないようにすら見える。
それでも、目の前の世界に「嘘」と「作り物」しか見えなくても、それを否定し、直視することなしに地獄は消えない。それがこの地獄を作り出してきたのだから。「地獄を進」んではいけない、その先はもっと地獄だから。
星野源が闘病を経て書いたというこの曲は、ヘルジャパンの描写として恐ろしいほど優れている。
そこから移住してしまった私に何か言う資格があるのかわからないが、何年も地獄に慣れた心身で地獄に抗うのは、特に最初は大変だけれど、とても生きた心地がする。