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母親

こんばんは。
はたらくお母さんです。

私の母は、「あたしんち」のお母さんにすこし似ている。
どちらかというと天然、おっちょこちょいで、それでいて頑張り屋でいつも家族からつっこまれてる。そんな存在。

こういうお母さんって、多いのではないかと、周りを見ると思う。お母さんはつっこまれながら、ワハハと笑っている。しゃかりきに家の用事をこなす。いつも家族のために忙しそうにしてる。

今、私が母親になって10年くらい経ち、似てきたなと思う。
サブカルクソ女であった私は、感受性だけで生きているような、すぐアンニュイになるような、とても面倒な人間だけど、子供が4-5歳になる頃から、さすがにどこの誰も私の感受性なんて受け止めなくなった。

それでもまだ独身時代のアンニュイさは染み付いていたが、さすがに子供が小学生になり、自分も40代にさしかかると、髪も顔も手足もパッサパサになるし、白髪が飛び散ってるし、痩せているのにお腹もお尻もダランとしてるし、夫も子供も母親である私の考えていることなんざ、心からどうでもいいし(私も夫の頭の中には興味は無いので人のことを言えないのであるが)、私のことで興味があるとすれば、夕飯はどうするのかとか、日用品が無いから早く買ってくれだとか、今度はどこに連れてってくれだとかどこどこのお菓子を買ってくれだとかそういうことばかりだし、何より自分が「あと何年生きられるのか」思考にチェンジした時点で、自分自身に自分のアンニュイさを受け止める余裕が無くなったというのが一番近い感覚ではある。

だから、自分の世界に引きこもる夫や、プレ思春期の娘の中で、私は浮き気味の明るさを振りまく、そして家族から適当に流され、たまに突っ込まれている。
まさに30年くらい前の、私の母の姿だ。

そういうわけで、現在地の私は「あたしんち」のお母さんにかなり近づいている。

そんなことを考えていたら、急に私の母親のことを思って、胸が苦しくなった。
母はどんな風に生きたかったのだろうか。
大丈夫、私みたいに適度に幸せに生きてるよ、という気持ちと、私みたいに、全然慣れない「明るさ」を使いこなさなければならなかったのかな、という気持ちで。

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