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「世界中がお前には無理だと笑っても、俺だけは世界王者になると信じてるんですよ!!」 そう叫び続けた渡部あきのりが志半ばで引退を決意したその理由。

2022年10月20日、後楽園ホールで二人の元ボクサーの引退式が行われた。元スーパーライト級王者・細川バレンタイン(角海老宝石)と元日本及び東洋太平洋王者ウェルター、スーパーウェルター級チャンピオン・渡部あきのり(角海老宝石)。
試合がすべて終わり後楽園ホールを出ると、記者たちの取材を受けている渡部がいた。話が終わるのを待ち、声をかける。

「加茂さんじゃないすか。お久しぶりです!!」

顔をくしゃくしゃにして笑う渡部のその笑顔が懐かしく、そして、ああ、こういう顔が見られる日がきたことが嬉しい、そう心から思った。

彼が引退を発表したのは今からちょうど2年前だった。その報を受けて、1ヶ月後、私はボクシング・マガジン2021年1月号で渡部のボクサーとして最後の記事を書いた。

当時のボクシング・マガジンの記事

渡部あきのりの引退は10月14日、角海老宝石ジムのTwitterで知った。しばらく事態が飲み込めなかった。その引退の事実以上に信じられなかったのは、

「モチベーションを維持できないと判断…」という文言だ。

あの渡部あきのりがモチベーションを失う……?

「世界中がお前には無理だと笑っても、俺だけは世界チャンピオンになると信じてるんですよ!!」

「何度も無様にすっ転んだ。世界獲って帳尻合わせなきゃ、俺どうするんですか」

17年間そう鼻息荒く叫び続けた渡部の声とぎらつく眼が脳裏に甦り、その直後とてつもない寂寥感が押し寄せてきた。

引退発表から一ヶ月後、ボクサーでなくなった渡部に会いに行った。


鯖江製の眼鏡に白いシャツ。出迎えてくれた渡部はデザイン関係の人のような装いをしていた。纏う空気が柔らかい。

お久しぶりです、と伏し目がちに微笑んだ目には力がなかった。ボクサーの名残は、激闘の証の曲がった鼻だけだ。

雰囲気変わりましたね。そう言うと、

「牙、抜けたな、って、会う人会う人に言われます」

寂しげな目がもっと寂しげになった。


コロナ渦による度重なる試合延期が発端だった、と渡部は口を開いた。

「……17年のプロ生活、何度も浮き沈みがあって自信を失ったり迷う事なんていっぱいあったんですよ。でも連敗した時もどんなに渡部は終わったと言われても、自分だけは世界チャンピオンになると信じてた。確信の最後の1%は消えなかったんですよ。それが3度目の延期を告げられた日、ふっと疑問が浮かんじゃったんです。俺、なれるのかな、って」

本当に唐突だったのだ、と言った。

渡部は常々、「目標は世界と言えなくなったときが終わり」と言っていた。そして「そんな日は自分には来ない」とも。

自分の内に芽生えた疑念に、え、俺の戦う心の火、消えかけてるのか…?

「その瞬間、俺、食らっちゃって…」

心の火が消える。渡部にとってそれは絶望を意味した。そこから約2か月、葛藤という苦闘を繰り返した。

もう俺は駄目なのか…。いや、ここで終わるわけにいかねぇだろ……!

だが、「本当はわかっていた」

疑いが芽生えた時点でボクサーとしての自分は終わったのだ、ということを。

「俺、技術的に劣ってるところなんていっぱいあった。じゃあなんで勝ってこられたのか。気持ち、気迫ですよ。俺ね、本気で自分を信じてた。命がけでボクシングやってたんですよ。その俺が覚悟と気迫を持てなかったら、出せなくなったら……自分の武器、もうないじゃんって。そしたら……ん…………リング上がれねぇなって思ったっすよね。上がる資格がねぇなって、思ったっすよね……」


39勝33KO7敗1分。
喧嘩ファイトが身上のスラッガーだった。力の出し惜しみを一切せず豪腕を振り回してぶっ倒す。一発で劣勢をひっくり返したことも、またその逆もあった。勝つも負けるもほぼKO。倒しっぷりも倒されっぷりもド派手で豪快でスリル満点で。ボクシングの醍醐味も華も残酷も詰め込まれた彼の試合は面白さに外れがなかった。

そのリング同様、ボクサー人生も波乱万丈で、無敗のまま浜田剛史の持つ15連続KOタイ記録に並んだかと思うと、いきなり三連敗。評価は地に落ち、もてはやしていた人の多くが去った。その後も挫折しかけたことは幾度もあった。私生活では愛娘の紗月ちゃんの白血病発病(現在も治療中だが良好な状態であるとのこと)という家族の大試練があった。あの時はボクサーである自分が無力に思え、命を賭ける意味を見失いかけた。だがやはり、ボクシングに答えを見つけた。試練にぶち当たり、倒れた人間のその立ち上がり方を見せるのが俺にできることじゃないかーー。

全力で戦う渡部は、へこむのも全力。そして「この世の終わりとしか思えない」どん底から全力で這い上がった。

連敗で自信が粉々に砕け、一歩を踏み出す気力をなくした時は、「自転車を漕げば前に進む」と自転車にまたがり気づけば県を越え、千葉の九十九里浜まで走った。先が見えず闘志を失いかけた時は「自然の中で気持ちと野性をとり戻そう」と、デビューしたときから付けていた日記を抱え11日間山ごもりした。魚を釣ったり野鳥観察をするうち「自然をエンジョイしてしまい、ここにいる目的を忘れかけた」が「生命力は漲ってきた」。

取材者は、だから渡部の取材に行くのがいつも楽しみだった。ぶっ飛んだ発想や、本人は大真面目の、だが突拍子もない言動にどれだけ感心したり驚いたり、泣き笑いさせられたかと思う。彼の言葉には尋常でない熱量が、迫力があった。それは無様を厭わず、なりふり構わず、それでいて繊細でもあるから時に傷だらけの涙まみれになりながら、世界の頂点目がけて全力を尽くしていたからだ。 

そのボクサー時代を、これからはすべて過去形で語らなければならない。この日の渡部は…痛々しかった。少し話しては力尽きたようにため息をつき、顔を歪めて込み上げる感情を必死に飲み込み、堪えていた。辞める日が来ることはもちろんわかっていた。だが世界王者になって引退するはずだったから、その日を怖れていなかったのだと渡部は言った。
「俺、ボクサーでいることがすべてだったんですよ。だから今どうしていいかわかんなくなっちゃってね」

彼の様子に、時を待って出直した方がいいのではないかと何度も思った。その何度目かにそう口にすると、渡部は、いや、と首を振った。

「今の俺、俺らしいっちゃー俺らしいですよ。食らったときはこれでもかって落ち込んで。今はそう、反骨心が湧いてくるのを待ってるしかないけど……1年後なのかいつか、自信と俺らしさを取り戻してまた笑ってますよ。だから今の俺、書き残しておいてください」


埼玉の地元に中学時代からの仲間がいる。彼らは渡部のボクサー人生のいい時も悪い時も寄り添ってくれた。その中に起業し経済的にも成功している友がいる。「俺にないもの全部持ってるそいつ」にかつて、渡部は「お前が羨ましい」と言われた。

「だからお前は夢を追って、掴め。引退したあとのことは心配すんな」

 その「兄弟分」のもとでしばらく社会勉強をするつもりだという。

「ほかにも、有り難いことにいろいろな人が手を差し伸べてくれているんです」

 だが今は胸にぽっかり穴があいていて、どうしたいのかわからない。唯一、仲間と一緒にいることが望みなのだという。

トレーナーに、と声もかけてもらったが、ボクシングに関わるのは今はまだ心情的に難しい。

「いつかまたボクシングに夢と覚悟が出来たら、その時、ですかね……」

ボクシングをやめてから思い出すのは負け試合ばかりだという。俺、よく這い上がったな、必死だったよな、そう思う。

「そういえば昔は直視できなかったのに、最近、90秒でぶっ倒された湯場(忠志)戦を見て、面白れぇ試合だなと初めて思ったんですよ。ああ俺、もう現役じゃねぇんだな、こうやって少しずつボクシングから気持ち剥がれていくんだなって」

 ややあって、独り言の様に呟いた。

「どっかで気持ち切り替えないとなー。俺、飛べなくなっちゃうっすよね」

 小さなあきべぇ節が聞けた気がした。


数え切れないほどの恩人がいる。ファンと仲間がいる。引退決意の裏には「俺を信じる俺を信じ続けてくれた人たちを裏切れない」との責任感もあった。ボクサー渡部あきのりの最後の矜持と誠意。

引退記事。本当なら現役お疲れ様でした、で締めるべきかもしれない。だがそれは、いつかぎらついた目をした渡部が、この取材のことを笑いながら振り返ってくれる日に、伝えたい。(文中敬称略)

私が彼に笑顔が戻ったことを嬉しく思ったのには、こういう背景があった。

「あの取材のあとも、実は精神的に落ちるところまで落ちたんですよ」
渡部は言い、「でも俺を救い出してくれたのはやっぱりボクシングだった」

それから、このたび東武動物公園駅近くに「DryOutGym」という名のトレーニングジムを開いたのだと続け、ボクシングを通じて俺の経験してきたこと、ハートを伝えていけたらと思ってるんですと言った。
「遊びに来て下さい。ここに至るまでの、俺らしい話がまたいろいろあるんで!」




俺らしい話。聞きたいです。そして度肝を抜かれたい。
渡部あきのりさん、現役お疲れ様でした。
やっと、言えた。


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加茂佳子
ありがとうございます😹 ボクシング万歳