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ポテトサラダ

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」


見知らぬ高齢男性に思いがけない声をかけられた女性は、うつむいたまま幼子の手を引いてその場を離れた。


男は納得がいかないのであった。
母親は子どものためなら、どんなに忙しくても料理の手を抜くべきではない。当然のことだ。
男の妻もそうであった。男は定年まで仕事が忙しく、家のことなど何一つ手伝わなかったが、妻は働きながらもしっかりと子どもを育て上げた。料理もほとんどすべてが手づくりであった。もっとも、男が定年を迎えた翌日、妻は家を出て行ったのだが。

妻のポテトサラダは、男の母親のポテトサラダには敵わなかった、と男は思う。遠い昔の母親の、台所に立っていた姿を改めて思い出す。母親は当時としては珍しい職業婦人であったが、決して食卓にパック詰めのものがのぼるということなどなかった。
ポテトサラダは母親の手料理の象徴なのだ、と男は思った。
惣菜を買うなどけしからん。
男は、母親のポテトサラダを食べたい、と思った。当然それは無理な話だ、と思った。

男はようやく売り場から離れ、目当ての酒を手にしてレジに並んだ。
背を向けたその惣菜売り場にある、そのポテトサラダこそが、母親のポテトサラダの味であることに、男が気付くことはなかった。

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