藤井風の日産スタジアムライブで見えた生きることと死ぬことの答え
2024年8月24・25日に藤井風さんが日産スタジアムでライブを開催しました。
私は1日目の親子席のチケットが当選し、7歳の長女と行ってきました。
当日はとんでもない暑さ。
ネットで事前購入して予約した時間に会場で受け取るグッズを求め、14時に最寄り駅から会場まで歩いていましたが暑さでぐったり。
なんとか会場に着いて受け取りの時間まで日陰で休んでいても、汗がダラダラ止まらない状態でポカリスエットを飲み干してしのぐほどでした。
グッズを無事受け取り、開演時間まで近くの飲食店で涼んで身体をキンキンに冷やして会場に乗り込みました。
日産スタジアムには屋根がありません。
その解放感たるや、最高でした。
昼間の灼熱の暑さは少し収まり、スタジアムに心地良い風が吹き込みます。
私が子どもの頃に感じた夏の夕方の涼しさがそこにはありました。
いよいよ開演の時間。
スクリーンに楽曲を提供しているTVCMが流れた後、客席の中に普通に座る風さんの映像が映ったのです。
「!?」
会場がどよめきます。
でもその映像はCGで、アリーナの端から通路に向かって歩いて登場してきました。(2日目は本当に客席に座っていたようです。)
キャー!という声と7万人の拍手が響き渡る中、混ざっていたのは不穏なザワつきでした。
なぜなら、たった1人で狭いアリーナの通路を歩いていたからです。
観客が手を伸ばせば身体に触れられます。抱き付こうと思えば、抱き付ける距離。それなのにボディーガードも、会場のスタッフも彼の近くにいません。
カメラマンは彼の2mくらい先から撮影しています。
ニコニコしながらひらひらと歩くその姿は、ある種の狂気さも醸し出していたのです。
生きているのに、生に対して執着がほぼないように見える狂気さを。
「一人で歩いていて大丈夫なんだろうか」
「怪我しないだろうか」
「近くで見れていいな」
そんな興奮と不穏な空気が入り混じる中、センターステージでピアノの演奏が始まります。
7万人に囲まれて、ピアノを弾く姿は神々しいものでした。
触れてはいけない、話しかけてはいけない、見ている私達も素直でいないといけないという気にさせる雰囲気を纏いながら、会場全体に彼が弾くピアノの音が鳴り響きます。
彼が弾くピアノの音は、まるで除夜の鐘のような、お坊さんが鳴らすお鈴のような清らかさがありました。
センターステージに移動後は、主にバンド演奏で楽曲が次々と披露されます。
名曲揃いのラインナップ。
途中で自転車を漕いでアリーナを一周したり、寝転んだり、ダンサーとしっかり踊ったりと、彼のやりたいことをふんだんに盛り込んだであろうステージが繰り広げられます。
そしてライブも後半に差し掛かり、披露されたのは2024年に発表された『満ちてゆく』。
生死観を語るこの楽曲が、スタジアムの会場と開かれた空に静かに響き渡ります。
観客の誰かがスマホのライトを光らせたと思ったら、瞬く間にスマホのライトが増えていきます。
ステージのスクリーンに映し出された星空と一緒に、観客が作り出した星空がスタジアム中に輝いていました。
みんなこの曲が好きなんだ。
この曲に共感できる人が多くいる空間なんだと思える瞬間でした。
生死観を語ることは、この国ではヤバい人というイメージを持たれることが多いように感じます。
でも藤井風さんの楽曲には生死観を語る曲が多くあり、国内外で受け入れられています。
決してタブーな話ではなく、誰もが身近に感じて考えていける事柄なんだと言われているような気になります。
生きることと死ぬことについて考えることは決して怖いことではなく、本来は心地良いことなのかもしれません。
さて、最後の曲の『まつり』の演奏が始まります。
「俺らの夏終わらんくねぇ」
まるで高校の生徒会長がカッコつけて文化祭でテンション上がっちゃったみたいな発言をして始まったこの曲。
花火もあがって、観客も踊って歌って、どんちゃん騒ぎ。
ライブも終わるけれど、夏も終わるんだな。
ライブが終わる寂しさと楽しかった高揚感で少しノスタルジックになりながら全ての演奏が終わりました。
アンコールはなく、最後に風さんがアリーナをぐるっと自転車で回って、ふわりと終わったライブ。
様々な楽曲を聞く中で、私は無意識に生死に関して考えていました。
私は昔から「人はなぜ生きるのか」「死を怖がる人がいる一方で、自ら死を選択する人がいるのはなぜなんだろうか」と考えているような子でした。
でも今回一つ答えが出たように思います。
それは、ヒトが生きることも死ぬことも自然現象の一部ということです。
花が咲いて枯れるように、雨が降って晴れるように、ヒトが生まれて死ぬのも自然現象の一部なんだと思えたら、なんだか腑に落ちたのです。
技術と知識を駆使してどうにかできることもあるけれど、どうにもならないこともあるのが自然です。
だから生きることも、死ぬことも、自分に責任を負い過ぎなくていいように思います。
自分だけでなく、他者に対しても同じです。
ヒトが生きることも死ぬことも全ては自然現象の一部なんだと思えたら、きっともっと多くの人が楽に生きられるのかもしれません。
2日間14万人前で一人最前列に立ちながらどこまでも自然体で歌った藤井風さんに敬意を表します。
また行きたいな。藤井風さんのライブ。