夫婦喧嘩で見えた発想のその先
新婚当初、私は掃除に料理に色々頑張っていました。なぜかって、そりゃ褒めてもらいたかったからです。
良い奥さんでいたかったし、これでもかというくらいヨシヨシしてもらいたかったんです。
家事が得意でも好きでもないのに頑張ろうと思った理由は、ただそれだけでした。
こうすれば褒めてくれるに違いない!と思いながら色々頑張る日々は続きましたが、予想に反して現実は希望通りにいきません。
まず頑張っていることに夫が気付かないのです。
男性は鈍感だとよく聞くから仕方がないことにして、次の手に出てみました。
「ここ頑張って綺麗にしたよ!」
「からあげ作ったんだよ!」
これでもかというくらいのアピールの嵐作戦です。
でも夫から帰ってきたのは、たった一言だけでした。
「へ~」
または、
「ふ~ん」
夫はハ行しかしゃべれなくなったのかと一瞬頭をよぎりましたが、そんなことはなく、ただそっけない態度を取られ続けました。
その後もいくら頑張っても全然ヨシヨシされず、褒められもしない日々は続きます。
褒められないのに褒められない日々は、私の中に積もりに積もったイライラをさらに増幅させました。
新婚のキラキラはどこへやら。
「なんで頑張ってるのに褒めてくれないの?!」
イライラがMAXに達した私は夫に嚙みつきます。
「…なんで褒めなきゃいけないの?」
こっちは全力で噛みついたのに、痛くも痒くもないと言わんばかりのキョトンと顔の夫がそこにいたのです。
もう、なんかね、イライラと虚無感で心がぐちゃぐちゃになって泣きました。
イライラしている私がバカみたいで、情けなくて、悔しくて、寂しくて。
怒りが一時的に収まっていたある日、ふと夫に聞いてみました。
誰かのために一生懸命頑張ったとき、私は褒めてほしいけれど夫はどうしてほしい人なのか。
「誰かのために頑張ったとき、褒めてもらいたいって思ったことある?」
天を仰いでしばらく考えた後、意外な答えが返ってきました。
「全くない」
これまたキョトン顔の夫がそこにいました。
よく聞いてみたら夫は誰かに褒められるために頑張ったことがないらしいのです。
誰かのために行動した結果、喜んでもらえたら嬉しいけれど褒められたいとは思わないと言うのです。
夫が頑張っても褒めてくれない理由は、思いやりのなさでも、愛情不足でもなんでもなかったのです。
頑張っている人を褒めるという発想がないだけでした。
完全に盲点でした。
マッチングアプリで趣味とか年収を聞く前に「頑張っている人を褒めるという発想はありますか?」の質問枠がなによりも必要なんじゃないかと思ったほどです。マッチングアプリ使ったことないけど。
人は自分の発想の範囲内でしか、人の気持ちは予想できないのかもしれません。少なからず、私はできませんでした。
だからこそ、人生を一緒に歩む人くらいはなぜそう思うのか、なぜそう思わないのかをこれからも聞いていこうと思います。
結婚して数年後、私が旦那さんに褒めてもらいたいときは、
「今から私を褒めてください。はい!どーぞ!」
と、ほぼ強制的に褒めてもらう形に落ち着きました。
「ハイ。エライデスネ~」
感情ゼロの表情と顔で夫の口から、ほぼモールス信号の褒め言葉が出てくるようになりました。
これで本当にいいんだっけ?と自問自答したくはなりますが、人を褒める発想すらなかった旦那さんにしてはかなりスゴイことなので、私はこれからもカタコトの褒め言葉を喜んで受け取っていきます。