空蝉の詩 ②
お通夜とお葬式はあっという間に終わった。
親戚や近所のおじさんおばさんたちが慌ただしくしている間に終わってしまった、という方が正しいのかもしれない。
父は結局来なかった。
どうしても手が離せない仕事が入ってしまったそうだ。会社に泊まり込むことになるから行けそうにないと母に電話があった。
曲がりなりにも義理の母親が亡くなったというのにお葬式にも行かせてくれないなんてどれだけブラックな会社なんだろう。
いや。。そもそも、仕事なんて嘘なんじゃないか。
実は父と母の夫婦関係は既に破綻していて、父には外に不倫相手がいるのではないか……?
まったく家に帰ってこないのもそれが理由なのでは……?
いつか読んだ小説のようなありきたりな想像をしながら、わたしはかぶりを振った。
まさかね……
ふと、祭壇に目をやる。
優しそうに微笑む祖母の遺影の前に、骨壷が置いてある。
人って死ぬとあんなに小さくなっちゃうんだなぁ……
祖母の遺影をぼんやり眺めながら、わたしはポケットの中のスマートフォンを取り出した。耀太には祖母が亡くなったとLINEで説明したのに何度も電話がかかってきていた。面倒だったので電源は切ってある。茜にLINEしてみようかと電源を入れかけて、やっぱりやめた。
帰ったら耀太とは別れよう。
悪い人ではないけど、わたしの中で耀太は「嫌いじゃない」止まりだ。恋人として好きになれない。
あの時何となくOKしてしまった自分を呪いたい。
精進落とし、という名の宴会が始まり、お酒を飲んで騒ぐ近所のおじさんたちを横目で見ていた。
母は気丈に振舞っているが、父が来られなかったことがやはりショックだったようだった。
わたしが見る限り、昨日から何も口にしていない。
パパ……ひどいよ……
こんな時くらい、仕事より家族を優先してほしかった。
家族のために働いてくれてるのは分かってるつもりだけど、今は母の傍にいてほしい。
わたしじゃ、母の心の隙間はきっと埋められない。
宴会が盛り上がってきて、無理やり笑う母をこれ以上見るのが辛くなったわたしは、その場を抜け出した。
外に出ると、磯の香りがひんやりとした風に乗って流れてくる。
5月とはいえ、夕方ともなるとまだ少し肌寒い。
そうだ……海に行ってみよう。
風に誘われて、と言うと聞こえはいいが、家の外まで聞こえてくるこの騒がしい声を、今はただ聞きたくなかった。
海へは歩いてすぐだった。
小さい時によく行った海だ。
ふと、小さな男の子の顔が過ぎる。
まだ小学校の低学年だったころ、夏休みに遊びに来るとここの浜辺で1人で遊んでいる男の子がいた。
年の頃はわたしと同じくらいで、よく一緒に遊んだ。
「……って……しってる?」
ぼんやりとした輪郭のその子は、にっこりと笑ってわたしに尋ねる。
「みなみちゃん。………って……しってる?」
あの子はなんて名前だったかな。
何を尋ねてきたんだっけ。。
制服が汚れるのも構わずその辺に腰を下ろし、寄せては返す波を見つめながらそんなことを考えていると、
「……ねぇ!」
そう声をかけられて、心臓が跳ね上がりそうになりながら振り返った。
「えっ……?」
「何してるの?」
夕日に照らされて顔がはっきり見えない。目を細めていると、まるでスローモーションのように日が陰った。
昨日、家の前で見たあの男の子だった。
「君、美波ちゃんでしょ」
「えっ……?」
「ちがう?」
「いや……そうだけど……」
「僕のこと覚えてない?」
あの時感じた既視感。
わたし、やっぱりこの子のこと知ってる……?
「夏休み、ここでよく一緒に遊んだじゃない」
「え……?あっ……じゃぁあの時の?」
「そうだよ」
にっこり笑った顔に見覚えがあった。
砂浜でよく遊んだ、あの男の子だ。
「……って、しってる……?」
「ナツキだよ」
男の子からその名前を聞いた瞬間、あの夏の日が走馬灯のように頭を駆け巡った。
あぁ、そうだ。ナツキくんだ。
ナツキくんは虫が苦手で、トンボや蝉を捕まえては追いかけて泣かせていた。泣き虫な男の子。
ふたりでひまわり畑でかくれんぼをしたり、貝殻を拾ったりして遊んだ。
ナツキくんがどこに住んでいるのかは知らなかったし、家の人といるのを見たことがない。お互いいつも1人だった。
毎年遊んでいたのに、小学6年生の夏にパタリと来なくなった。
来る日も来る日もこの砂浜で待った。
でも、やっぱり来なかった。
家も苗字もわからない男の子のことを探せるはずもなく、がっかりしたのを覚えている。
でも……なんで今まで忘れてたんだろう……
「思い出した?」
ナツキくんの問いかけに、わたしは慌てて頷く。
「よかった」
あの時のようににっこり微笑んで、ナツキくんはわたしの隣に座った。
「なんで……来なくなったの?」
「入院してたんだ。風邪を拗らせて」
「肺炎とか……?」
「そう。でも美波ちゃんも、来なくなったでしょ?」
「あぁ、うん……」
そう。その次の年から行かなくなった。
「昨日、おばあちゃんの家の前にいたでしょ?」
「うん。亡くなったって聞いて」
「なんで家が分かったの?」
「そんなの簡単だよ」
ナツキくんはそういうと、悪戯っぽくわたしの顔を覗き込んだ。
切れ長の瞳がスッと近づいて、ドキリとする。
「こっそり跡をつけたんだ」
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