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私宅監置の報道ー記録の意味についてー

1 刻みつけることの意味

たまたま、朝日新聞のデジタル版で目にした記事。私宅監置というものについて。

「窓ない小屋に13年、精神障害者『合法』で閉じ込められ」という記事。

沖縄在住のテレビディレクター原義和さんが、記録を続けているという。

当事者にすれば悲惨な歴史だし、それはつまりこの国の歴史でもあるわけだけれども、そうしたことを記録に残すことの意義がふと胸に迫りました。

思い出したのは、キリスト教に関する聖人についての取り扱い。

星野博美さんの「みんな彗星をみていた」を数年前、読んだとき、ローマカソリック教会での聖人に関する記録の取り扱いの文書を読んだ時に、実感として、記録することの意味を感じることができました。

長い長い人間の歴史において、忘れてはいけない出来事というのは、記録しておかないと忘れ去られる、ということです。当たり前のことですが。

同じことが繰り返される可能性があるからこそ、記録するということ。

災害に関する、碑も同じ役割を持つのだと思います。

刻みつける、目につくようにする、思い返す。

人間の歴史だけでなく、一人の人の歴史においても同じかと。

2 人の変化と成長

人の変化と成長も同じかと。

成長しよう、よくなろうという意欲のある人は、記録して、振り返り、変わり続けます。

変わらない人というのは、そもそも意欲がないので、記録しないし、ただ同じ自分のやり方を繰り返すだけです。

当然、周りの人の反応に対しても無頓着です。

数多くいる世の中の人間で、皆が皆、成長し続ける必要もなく。

最低限は、関わった人に迷惑をかけない、迷惑をかける時でも気を使って最低限に止めるようにする。

迷惑をかけたと思った時は、次み同じことを同じ人にはしないようにと心がけ、工夫をする。

同じミスをする人はそのまま。同じことを繰り返し続けます。

変わらない人は、変わらない。要するに、単縦に傲慢なだけ。

変わり続ける人は、変わり続けて、成長し続けています。

ただそれだけのことなのかなと思います。


やはり成長し続けたい、変わり続けたい、あの波間の先の景色を見てみたい、この坂を登りきったところの景色を見てみたい、あの角を曲がった違う景色を見てみたい。

そうした意欲は、あります。

結局は、好奇心なのかなと。あるいは、飽き性なのか。

(おわり)