課税処分をめぐる争いー不服審査と裁判ー
1999年に弁護士登録をして、弁護士として働き出して早20年。その間、4年間ほど、国税審判官をさせてもらい弁護士業を離れて、再度また弁護士として働き出して早4年。
おかげさまで、修習生の時からたずさわってみたいと思い続けていた税務、税法関係の事件をいくつか担当させていただくに至っております。
やはり、面白い。税法、課税処分をめぐる紛争。好奇心を刺激するやりがいを感じています。
ただ、いかんせん、今や少しオーバーワーク気味で、空回りしつつあるような気がしないでもないのが辛いところです。争点を同じくするものが6つ含まれていますが、訴訟が東京、三重県、大阪、神戸とで、合わせて8件。いずれも私にとってはヘビーな案件です。特に、三重県のものは、いわゆる査察崩れの事実認定の不備の案件であって、負けるわけにはいかない事件です。そのほかのものも、条文の解釈、要件をめぐる点が主たる争点であり、国の主張がそのまま認められたら、税法業界に一生の汚点を残すくらいに思っています。
あいつが代理人でなければこんな判決出なかったよ、と言われないようにせねばというプレッシャー。破産法の世界で、なんでこれを争ってこんな最高裁判決をとったんだよ、と思う裁判例があり、あれが頭の中をチラチラとします。平成10なん年だったかの法改正前、破産申し立てだけして、免責の申し立てを失念した事件。
訴訟以外では、国税不服審判所への審査請求事件が実質的に2件。
いずれも、最初に関わった税理士の方が、これはおかしいのではないかと引っかかりをもち、取り組まれた案件です。
修習生の時の検察教官の言葉。「問題解決能力よりも、問題発見能力が大事。」。まさにその通りの実務です。この教官はその後、最高裁判事にもなり。その際に、最高裁の世界として口にされた言葉は。「事実ですよ。」。それもまた然り。法解釈は事実の後からついてくるもの。
税法にあってもそうあるべきかと。ただ、税法における事実を強調すると、おそらく課税オッケーの方向へ。そこがちょっと特殊なところ。税法。独特。
ところで。審査請求と裁判を経てしみじみと思うことは。
実体法としては、税法って面白い、底なし、未開の地がいっぱいというワクワク感があるのですが、そうであればあるほど、審査請求手続きって、やはり不要ではないかということです。
当事者主義、しかも法曹が代理人をして、主張立証を尽くす裁判手続きの方が、相手方としても、学ぶことが多いように思います。
訴訟の方が、プロとプロとの真剣勝負!というのを実感します。議論がどんどん深まります。
対して、審査請求。相手は、原処分庁、国税局となりますが、実質的には、審判所の職員を相手にすることになります。やはり、訴訟とは違う。
アマチュアとの戦いをしているような抜けた感じがしてしまいます。何故なのでしょうか。やりとりをしていても、議論が深まり、相手方であっても、なるほど!と思うことはありません。その書面を読んでも。
ただ、それでも提訴前にそれなりのやりとりはするので、裁判段階では、事実関係やある程度の各方面からの検討は済んでいるという点では、訴訟の際、楽なようにも思います。
ただ、あの程度の深さのやり取りに過ぎないので、今の、裁決が出るまで1年間の「ワンイヤールール」というのではなく、6ヶ月の「シックスマンス ルール」で十分ではないかという気はします。