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「追弔和讃」

2020年2月2日に 祖父が親しくさせていただいたお坊様(おじゅっさんと呼ばせていただいていた)がお亡くなりになったというお知らせが届いた。

おじゅっさんは 生前の祖父母を知る方なので 機会があればお話させていただきたいと思っていた。私が初めて聴いた御詠歌はおじゅっさんが祖父の葬儀でお唱えしてくださったものだったから。

おじいちゃんは お寺のおじゅっさんと仲が良くて いつもお寺さんが来られると 仏間でとても楽しそうに長くしゃべっていた

それを横で コロコロしながら
邪魔だったろうけれど コロコロして
二人が長く楽しそうに話すのを見ていた

おじゅっさんは
とてもよく通る魅力的な声で
身体中に振動が響き渡るような素晴らしい声で
しかもとても男前で
お経もまるで音楽のように気持ち良く(その時はちゃんと正座させられてたとは思う)
所作の美しさを見ているのも好きだった

何しろその空間が好きだった
それくらいおじゅっさんとおじいちゃんは いつも楽しそうにお話していた

小1の時 おじいちゃんが他界した
小雨の中 ずっと一人で河川敷で泣いた

子供の頃から(なので あたりまえと思っていたが)うちには三つのお寺からお坊様が来られていた
お通夜 お葬式も三人のお坊様がおいでになられた

おじゅっさんが真ん中で突然 歌を‥
それが御詠歌とは知らなかった
見たことのない楽器を鳴らし
聴いたことのない歌を
おじゅっさんはもちろん 他のお坊様方も一緒に

立ち上がり 舞いながら その楽器を鳴らし 大きく美しい声で

すごい迫力だった

真ん前で見ていた私は 腰を抜かすほどに驚いた
そして悲しさと感動で涙を流しながら 食い入るように魅せられた
聴こえるもの 見えるもの 香りに包まれて 全てが美しかった

それは6歳の記憶

あんなに心動くこと ここまでの人生でも そんなにはない

失礼かもしれないが 幼い私は「これを芸術というんだ」という気持ちを抱いた
後で それが「御詠歌」というものだと知った
けれど それ以上でもそれ以下でもなく
あの感動の記憶は鮮やかで
「あれを御詠歌という」
ということだけを刻んで
ずっとそのまま過ぎた

数年前に御詠歌に再び触れるご縁をいただいて あの記憶が蘇る
「是非 挑戦してみたい」と思った
そして わからないままに「追弔和讃」という曲の合唱のご依頼をいただいた
長調と短調が混在するこの難しい曲
その旋法を知ると魅せられた
ふと思った
人が亡くなった時にお唱えされる「追弔和讃」はいくつかあるのか?
祖父の時の「追弔和讃」がこの曲である可能性はあるのか?
お尋ねしたら おじゅっさんが得意とされる「追弔和讃」はこれだとわかった
また驚いた
あの感動の御詠歌に この形で再会するとは思っていなかったから

数年 御詠歌に関わらせていただいて 私はあの時の記憶をおじゅっさんに直にお伝えしたいと思っていました

おじいちゃんとおばあちゃんを知る人であるおじゅっさんに

初めて聴いた御詠歌が素晴らしかったことは 今の私にはとても大きいから
お礼をお伝えしたかったのです
ですが おじゅっさんが旅立たれたと知りました
直にお伝えできなかったけど おじいちゃんとおばあちゃんに会えるかな
おじいちゃんとおばあちゃんがお礼を絶対に言ってくれるよね
そんな気持ちで今日は大好きなお花のお庭に行った
おばあちゃんの戒名にある「鏡」の文字のあるお寺のお庭
心をこめてご冥福をお祈りしてきた
空に浮かぶ昼の月がずっと優しくて おじゅっさんのように見えました

2020年2月4日のメモ

翌日 私が編曲させていただいた 合唱用の「追弔和讃」(20170406に録音したもの)をおじゅっさんの葬儀でかけたいというご連絡をいただいた。

私の気持ちをお伝えくださる
想像していなかった形のようで
仕事している時にお電話いただいておりました
ちょっと涙出そうなお話
厚かましく 申し訳なく

すみません

でも 何倍もありがとうございます
お気持ちに 天国の祖父母含め家族一同
心より感謝申し上げます

2020年2月5日のメモ

私が 生まれて初めて耳にした御詠歌
御詠歌とは人の葬儀の際に歌われるものだと思っていたくらいに私は無知で
葬儀の際にお唱えされる御詠歌は「追弔和讃」だと知ったのは数年前でした

私が唯一知っていた御詠歌
それは「追弔和讃」でした
しかし その旋律は覚えてはいず 祖父の葬儀の際のあの素晴らしいお声と舞いの景色のみは今でも鮮明です

この御詠歌に再会して 無知であることを省みる心もまだない私が拙くも編曲したこの「追弔和讃」

できた時に 確認のために録音した粗いものです

この「追弔和讃」を 今日 おじゅっさんの葬儀で
私にこの曲と出会わせてくださったおじゅっさんに
聴いていただけるようにしてくださいました

今 おじゅっさんを想い 手を合わせて 私もこの粗い録音を久しぶりに聴きました
編曲した時には このような形でおじゅっさんに聴いていただくことになるとは思ってもおりませんでした
一曲が終わるまでに どんどん涙が出ました
人がお亡くなりになった時に 音楽を流すなんてあり得ないと思っていました
でも 今日の私は違う感じを抱きました
悲しさだけでなく いろいろな気持ちがどんどん涙と一緒にあふれました

おじゅっさんと私を繋ぐ曲
私の名前や顔は覚えてはおられないでしょう
しかし祖父母の孫娘と言えば 少しは思い出してくださるかな‥「こんにちは」くらいしか交わした言葉はないと思います
ですが私には特別な方でした

2020年2月6日のメモ

おじゅっさんの御詠歌がなかったら 私は初めのお声がけで 御詠歌に向かうことはなかったと思う。
そして 「追弔和讃」の編曲のご依頼がなかったら この葬儀でかけていただいた御詠歌とも繋がってはいないと思う。

この「追弔和讃」の合唱は コロナ禍の20200627にリモートで お声を乗せていただき 空気に触れさせていただき たいへんありがたく思っています。

作者不詳 曽我部俊雄さんによってまとめられたとされるこの作品の歌詞は

一、人のこの世は 永くして
変わらぬ春と 思えども

二、はかなき夢と なりにけり
あつき涙の まごころを

三、みたまのまえに ささげつつ
おもかげしのぶも 悲しけれ

四、しかはあれども み仏に
救われて行く 身にあれば

五、思いわずらう こともなく
とこしえかけて やすからん

六、南無大師遍照尊
南無大師遍照尊

この歌詞から 現実世界と空の世界を感じた。
四番は空の世界すなわち天界からの響きを加えたいと思った。四番だけに高音部があるのはそれゆえです。

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