「相互供養和讃」(「相互供養和讃〜花まつり和讃」)
この作品との出会いは お子さんが舞台で演奏するピアノ伴奏の編曲だった。
2016年の11月の本番間近のある日にお電話で相談された。
お子さんばかりでの御詠歌のお唱えの舞台なので お子さんの声の音域に合わせて 三律上げた形で旋律のついた伴奏がつくれないかとのこと。日が近いため 急ごしらえで ただしお子さんが弾けるように音の配置はつかみやすいように工夫した。
しかし 演奏する予定だったお子さんが骨折され これまた急きょ(たぶん本番の3日前くらいだったと記憶する)そのお子さんの父君であるお坊さまが演奏されることになった。
本番は何かあった時にすぐに代わりに弾けるように舞台袖(本当にギリギリ近く)で見守った。
子供たち特有の素直でキラキラした声
子供たちを見守りながら お父様がピアノを僧衣で伴奏されるお背中
何とぬくもりに満ちた 光に包まれた光景だったか。くっきり覚えている。まぶしいほどに光り輝く 心に残る本番でした。
そのおよそ2年後(直にお会いしてからは1年ぶりくらいに)とても久しぶりにお電話いただいた。
「御詠歌をなされている檀家様用に あの時の伴奏を弾いてもらえないか」ということだった。
女性が多いので調性も同じく三律上げたままで旋律もついたままでとのこと。
この曲との再会だった。
あの時はお子さん用の編曲だったので 自分が弾きやすいように改編することにした。そしてあの時は急ごしらえで 歌詞について考えたりはしていなかった。
改めて歌詞に目を向けた。
この時はまだ 作詞 作曲者である曽我部俊雄さんという方がどんな方か知らなかった。
一樹の蔭の 雨宿り
一河の流れ 汲む人も
深き縁の 法の道
歩むに遠き 行手をば
情けに包む 人の慈悲
供うる人も 受くる身も
共に仏の 御光を
受けて輝く 嬉しさに
施主の功徳を 称えつつ
御名唱えて 報いなん
南無大慈如来尊
南無大師遍照尊
歌詞を楽譜に書き込んで 照らし合わせながら 改編を進めた。
「歩むに遠き」に続く「行手をば」の部分で手を止めたのを覚えている。
何か自分の人生の中の立ち止まる瞬間だったようにも思う。
その時の自分の目線そのままに
小首をかしげて 斜め上方の目線
それに伴い その部分のコードは変えた。
そして歌詞に母音が多いということも響きとしてのやわらかさを感じ 演奏する音色も変化した。「雨」の「あ」と「歩み」の「あ」は違うって思った。
伴奏なので檀家さんが歌に入りやすいように前奏と後奏をつけた。これは不要と言われるかもしれないけど とりあえずつけた。
そんなに長く時間をかけることはなく改編は完成した。
予想していなかったことがある。
実際に弾いてみると「何度も弾きたい」気持ちになった。自分でも驚いた。
通勤時に通るお地蔵さんにいけられたお花に目が行き お花を供えている人のやさしさを考えたり 日常の景色の色合いが変わり とても優しい気持ちになった。
それ自体に力を持つ楽曲からは栄養をいただけるんだなと 心から思った。
演奏にあたり 歌詞の一区切りまでを 気持ちをとめることなく 言葉の意味を感じながら弾きたいと思った。背中を押されているような推進力を持って弾きたいと。20181017の演奏はやたら勢いがあり テンポも安定していない。けれど楽しい気持ちが現れているので そのまま残している。
この時に曽我部俊雄さんは金剛流御詠歌の流祖なんだと知った。この作品を作られた曽我部さんと この作品に出会わせてくださった方々に感謝。
そして この後 思いがけず この「相互供養和讃」という 作品を 私はたくさん編曲することになった。
まず このピアノ演奏にお声を乗せてくださった方がおられ その録音をお送りくださった。
早く拝聴したくて 足速に帰宅した夜の田んぼの道。
拝聴して 感激した。
その後もたくさんの温かいお言葉を頂戴し この年に「ピアノ伴奏つき 二部合唱」と「ピアノ伴奏つき 三部合唱」そして「四部合唱」を編作した。
どんどん繋がっていくご縁の不思議さを体感した。
同じ年の年末に 二部合唱と三部合唱の録音会をすることになった。
この録音会の日に ピアノだけの「相互供養和讃」の少し長いものの作成のご依頼をいただき
向かうことにした。
持ち帰り 想像を膨らませた時に この後向かうことになる「聖誕」への憧れが 既に存在していて 作成し2019年1月22日に演奏したのが
「相互供養和讃〜花まつり和讃とともに」です。
父の初めての大きな手術を終えて 大きく演奏が変わった。変わったのは「祈り」についての感じ方。
「祈りとは 外への祈りとともに内への祈り」
そう気づいた。
私はこの編曲をとても気に入っていて 今も弾き続けている。