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「散華〜里に降る雪」

どこから来るのか どこから来たのか

不思議にきれい

はじめは 沈黙の音
沈黙の音は雪の降る音
音がしないことが雪の降り積もる音

里に降る雪
雪は祖父
里は祖母

沈黙の音の中の音列は繰り返し続く

その音列は
降り続ける雪か 夜のふける音か
わからない

雪は風で舞いあがる
風で形が変わる

ならばこれは風なんだろうか
この音の形は

曇り空に見上げる雲は 黒く見えて
降りていくうちに 真っ白に見える
その時 白さはきわだって
我を忘れていることに気づく

不思議にきれい

不協和音の傷
音の濁りの傷
鳴らし方で 傷は繊細さに変わる

黒く見えた雪が真っ白に見えるように
濁りによって澄む

どこから来るのか どこから来たのか

自分で書いててわからないし
明日はどこに行くのかもわからない

そうして 少しずつ進んでいる「散華」

何の目標も何の目的もないです
弾きたいなって思っただけ

思いつくことを書きとめていくような創作は
静かで
私にとっては栄養

20170108のメモ

「散華」という御詠歌作品に出会ったのは このメモからちょうど1年前の2016年のお正月だった。村上全神さんが作られた心の内奥に響く旋律と 山本芳遵さんの色彩にいろどられた情景が浮かぶ歌詞。

雨風あられ いといなく
たえ忍びたる かいありて
白赤黄と とりどりに
咲き乱れたる わが園の

清き花びら つみとりて
花籠にもりて み仏に
いざ散華せん もろ共に
御親たたえて 供養せん

その2016年のお正月に
お招きいただいたお寺の本堂で
初めて この御詠歌を聴かせていただき 合唱の伴奏という光栄なご依頼をいただいた。

合唱編作は既に 感性豊かなお坊さまによって完成されていました。
その編作は とてもそのお坊さまの心‥御詠歌への愛情を感じるもので「そのカラーを大切にしたい」と 心を尽くすことにした。そして舞台に向けての伴奏を作らせていただきました。

この「散華」との出会いの時は寒い季節で
漠然と「いつか雪の降る季節に 自分なりのイメージで弾いてみたい」なと思った。

そのイメージは 里に降る雪の音
私の中では 「静か過ぎることが 雪の音」
「雪」という文字は 祖父の
「里」という文字は 祖母の
名前の中の一文字で 色合いとしては
白 灰色 薄く淡い紫
生まれた地は 雪の多い地で
しかし 静かに優しく降る雪は どこかあたたかい
‥そんなことを思っていた。

そして 1年後の2017年の年明けにピアノ独奏編曲にとりかかったのでした。


沈黙の音(=雪が降る音)と その木霊で始まる。

「いといなく」
降り続く雪の音を重ねて 丁寧な日々の積み重ねを。

「咲き乱れたる」
積み重ねた結果への誇りの笑みを感じて。

「清き花びら」
花びらを雪に見立て 粉雪が優しく舞うように。

「つみとりて」
丁寧な積み重ねの日々により咲き乱れた花の花びら‥ということに想いをはせ
遠く頭の中をめぐるような
やや時のゆるみやねじれ(すなわち回想)を感じさせる音の流れを選んだ。

「花籠にもりて」
清らかで柔らかく たいせつに。

「み仏に」
光のイメージの音をのせた。

「もろ共に」
原曲でも最も心がこもる箇所と思い
風により雪が舞い降りて 風とともに雪が降りやむさまを音にした。

花びらと雪を重ねて編曲したこの作品。
旋律と歌詞から積み重ねの日々の美しさを感じながら2015/12/14に演奏しました。

この編曲により感じたことは
西洋古典の赤とか青のぱっきりした色ではなく
近現代の混ぜ合わせた色でもなくて
「日本はやっぱり濃淡であらわす色」

影をつくることで光を見るような感覚もそうだと思う。

また 西洋の音楽のような「線的な一方向の音楽」ではなく 「環状に内側をめぐる音楽」だと思った。

時間を頭で区切ることから自由でありたい。
自由な音の間隔=感覚を得たい。
そのためにこの編曲に向かったようにも思うのです。

御詠歌からたくさんの目には見えないものを得て 決して私からだけでは生まれない響きに心動き その作業は やはりかけがえのない時間となりました。

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