「めぐみの光かがやきて〜中国地方の子守唄とともに」
忙しいさなか 漠然と頭の隅において日々を過ごした。
そんなある日 御詠歌の曲集を何とは無しに眺めていて 「めぐみの光かがやきて」という曲で手を止めた。
ひらがなの真ん中に「光」という文字だけが漢字。そのため「光」という文字が本当に輝いているように見える。
あな貴しや 有り難や
大慈大悲の み仏は
法の浄土を いでまして
塵の浮世を 照らします
いとも妙なる み仏の
やさしの慈心 法の掌に
智慧のみひかり 輝きて
永劫に我等を 救うなり
野々垣黙成さんが作られた歌詞は 「み」という柔らかい響きと 母音の柔らかさにより その光の質が感じられる。そして何より音にしても文字として眺めても優しさにあふれていると思う。
その旋律を聴いているうちに 「中国地方の子守唄」の話を思い出した。
2つの楽曲をそれぞれが干渉することなく 同じ時間で 2つの空間を表現できないだろうかと思った。
両者はそれぞれ小節数が違う。
自分の感覚で自由に構成していくと
「めぐみの光かがやきて」の音価を二倍に引き延ばすことで 「中国地方の子守唄」との響きが合致するように感じた。そのため「めぐみの光かがやきて」1番のみで「中国地方の子守唄」は3番までという形になった。
当然「中国地方の子守唄」の方が長くなるため 間奏のような形で「中国地方の子守唄」だけの部分があり 「めぐみの光かがやきて」の原曲をご存知の方から見ると とても歪な構成。
‥であるにも関わらず この初稿を聴いてくださったお坊さまがお声をのせてくださり 聴かせてくださった。そのようなことをしてくださるとは思ってもいなかったため 拝聴した時は涙した。
その時に 「めぐみの光かがやきて」という御詠歌作品とその作曲をなされた前田勉先生が 私がたいへんお世話になったお坊さま方の大切な存在 大切な作品だと知った。
とても反省した。
後に そのお話をすることができる機会があり お伝えした。寛く快く受け入れてくださり とてもありがたく思った。
それでも 改編はしなければならないと その時強く思った。何故なら この曲と出会わせてくれたのは「中国地方の子守唄」であり 私の目線は「中国地方の子守唄」からの目線が強かったから。
ちょうど 父の初めての大きな手術を控えていた時で 不安からよけいにのめりこんでいる部分もあると気づいたこともあり まずは一度ここで完成として離れることにした。
2年後の2020年の冬が終わりへと向かう頃。
コロナウィルスの流行により 突然お仕事が長い長いお休みになった。
その長い長い自粛生活中にようやく改編をした。
改めて今度は「めぐみの光かがやきて」からの目線で旋律と歌詞に向き合った。
旋律が先か歌詞が先かはわからないけれども このお二方がお互いを理解し 尊重されていることを強く感じた。
・「あなとうとしや」の「あな」の部分
「ありがたや」「みほとけは」「てらします」の部分の旋律に心が動いた
・「あな」は発音通りに高い音から下がるのではなく上がって下がる旋律となっているところに かおるような高貴さと柔らかさを感じた
・「なむだいじ」と「みほとけの」と「いでまして」は2半の音から3の音へと上がるのに対して「ありがたや」と「てらします」は2半の音から4の音へと上がる。
陰黄の音階通りに「ありがたや」と「てらします」は音が選ばれている。このことで「ありがたや」と「てらします」はお唱えされる時にもおそらく心が動くのではないだろうかと感じた。その部分に古風で雅なやわらかさをお感じになられるのではないだろうかと感じた。
そして初稿と同じ季節。春3月27日に完成した。
自粛中にて限られた録音環境で簡易録音して
‥そのまま3年が経ち 現在に至ってしまった。
ここには 作った順番でまとめていきたいと思っていたので この機会に録音することにした。
改めて向かうことで幾つか改めたりもした。
5年‥ずいぶんかかりました。
昨年10月に「めぐみの光かがやきて」の四部合唱編作をさせていただく機会があり そのおかげもあって学びは初稿の時よりは深まっていると思う。
だから今日 20230704に録音する形で良かった。
そういうご縁の作品だったのだと思う。