「楊柳」
この頃 「次は御詠歌をピアノで弾いてみたら」というお話があった。
よく意味がわからなかった。
今まで編曲させていただいたものは御詠歌ではなかったのか
「御詠歌」には『御詠歌』と『御和讃』がある
と知った。初めてこの世界に触れさせていただいてから4年以上が経つのに‥だ。
私がそれまでに編曲させていただいたものは全て御和讃だった。
・御和讃は七五調
・御詠歌は五七五七七の和歌で
名前がついた旋律があり その旋律に和歌をのせて唱えるとのこと
素敵だなと思った。
旋律に名前があることも そして和歌。
御詠歌との出会いの前に 何年にも渡り 私はあるピアノ作品の楽譜を追っていた。
結果的にこのピアノ作品の楽譜は奇跡的な流れで私のところにやって来た。
初めて弾いた時 涙がとまらないほどに琴線に触れた。
この作品もまた和歌に旋律をつけたものだった。
御詠歌と出会う前に追っていたピアノ作品の理解につながることをいくつか見つけた。
その一つは
西洋的感覚では4小節単位で句読点を感じるものだが このピアノ作品はそうではなかった。
そうではないのに弾いていて腑に落ちる。
漠然と「日本人の感覚なのかな」と思っていた。
この五七五七七の句のためではないかと その時に思った。そのピアノ作品は何の和歌を念頭につくられたかということは誰も知らない。いつかそれもわかる時が来るような気もした。
御詠歌を初めてピアノ編曲させていただくにあたり「楊柳」と「同行二人」の2曲についてお話をうかがった。
両者ともに偉大な作品。そして一部を除いて同じ旋律とのこと。このどちらかから始めてみてはどうかとご提案いただきました。
一部違うということは 大きな意味があるんじゃないか
と思ったし その違いを感じたいと思った。
御詠歌の世界の知識が圧倒的に少ない私は
不躾とは思いつつも
「その二つの作品をお唱えされたものを聴かせてくださいませんか」
とお願いし 快く送ってくださった音源を拝聴し 心動いた。
拍子木の音とともに聞こえてくるお声に耳を澄ますと 声の色から表情が伝わって来た。
そして 今までは「私の伴奏に合わせていただいていたのだな」と思った。
ノンストレスでなければ伴奏とは言えないと思い 申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになった。
私は両方とも編曲させていただきたいと思った。
はじめ聴かせていただいた時に歌詞を眺めて「同行二人」の歌詞は心情であり つくりやすく感じた。しかし それは 心情であるが故に おかしな先入観によって勝手な脚色をしてしまうことに繋がる気がした。
高崎正風さんが作られた高野山第三番の和歌がのせられた「楊柳」は 情景が浮かんだので まずは「楊柳」をピアノで編曲させていただくことにした。
天が下
照らさぬ隈も
なかりけり
高野の奥の
法の灯
曽我部俊雄さんによる「楊柳」の旋律をお声で拝聴して そこから独特の節回しを記譜していくことから始めた。
この編曲では 日本の音階を使って響きをつくっていった。
つくるのに時間はかからなかった。
とても情景が色濃く浮かんだことと いただいた音源のお声の色合いに触発される部分が多く
探ると合う響きが見つかるので それを書きつけていった。
頭で考えて頭でっかちになることは避け
直感でやり遂げてから アナリーゼして 理論で裏づけたいと思った。
普通にピアノ作品を弾いた後に御詠歌をピアノで弾くと 頭が「あれ?」て感じになるのだけれど スイッチが切り替わる瞬間があり 指が勝手に見つける。
そのことが不思議で楽しかった。
その年の6月10日に完成した楽譜には
遠雷の響き
水気を帯びて
香るように
ほのおはゆらめく
解き放たれて
天女のうた
と書き込んでいる。
できあがってから解析した。
一音を除いて 旋法上の問題はないと思った。
その一音は 私の個性として変えないことにした。
そして良いイメージが残っているうちに弾いておきたいと翌日の20190611にまさに遠雷が聞こえる中で演奏しました。
そしてその4日後の20190615に この演奏に合わせてお唱えしてくださりました。