いとこの話
私にはいとこが20人くらいいます。
父親は6人兄弟、母親は4人兄弟で、それぞれに2~3人の子供がいるためそうなります。
今日はそのなかの一人のことを書きたいと思います。
Nちゃんは一番年の近い、いとこの一人です。
なぜ一番が一人だけではないかというと、Nちゃん達は双子だからです。
Nちゃんは鹿児島市で生まれて、一時期宮崎市に引っ越しましたが、再度鹿児島市へ戻ったはずです。
そして確か長崎?の大学へ進学し、ある市に就職しました。
今は合併して鹿児島県南さつま市になりましたが、当時は加世田市でした。
なぜNちゃんがそこを選んだかは、たぶん私達の故郷だからです。
私の両親は二人とも南さつま市出身です。
余談ですが、いまだに鹿児島弁が抜けません。(笑)
加世田は私の小さい頃までは鹿児島本線の駅から南薩鉄道という私鉄が通っていたのですが、廃線となり、今は鹿児島市の山形屋にあるバスセンターから1~2時間に1本バスが出ていて、確かバスで1時間強かかる場所です。
薩摩半島の西のあたりという感じですかね。
過疎化が深刻な町のはずです。
最初市長さんの秘書をしていたのですが、途中から他の部署へ移ったと聞いています。
あるとき、町の小学校に環境問題を漫才やコントで面白おかしく学ばせてくれる漫才師さんたちがやってきました。
もう解散してしまったそうなのですが、ダムダムダンというコンビです。
今でもGoogle先生で検索すると彼らのことやyoutubeの動画などがあがっています。
Nちゃんの旦那さんとの出会いです。
おそらく遠距離恋愛のすえ、旦那さんと結婚しました。
結婚とともに加世田市役所は退職です。
結婚式のとき、Nちゃんの入場の音楽が大河ドラマ篤姫のテーマ曲だったのがとても印象に残っています。
まさに、九州にしか住んだことのないNちゃんが関東へ嫁入りするのにぴったりな曲でした。
新婦スピーチで「本当は私が町の過疎化を食い止める役目だったのに、過疎化に一役かってしまい、申し訳ない。」というようなことを言っていました。
でも、さすがに漫才師の方が加世田在住で仕事ができるとは思えないので、しょうがない選択だと思います。
Nちゃんが加世田市役所に勤めていたときに、一つ不思議だったことがありました。
祖父母が住んでいた家があるのに、アパート住まいだったんです。
市役所にも自転車でいける距離だったんですが。
さすがに一人で住むには広いわ、設備は古いわで使えなかったんですかね。
その家もいろいろすったもんだがありつつ、今は更地になっています。
ずっと長男の父の名義だったのですが、鹿児島市に住んでいるNちゃんのお父さん(叔父さん)にまかせたと聞いています。
長期の休みはほぼ加世田で過ごしていた私には思い出のたくさんつまった家でした。
たまには加世田、ぶら~っと行ってみたいなあ。